「無事、無難、大過なく」を人生の目標として生きている人も多い。特に日本人はね。それは悪いことではない。逆に、自分の能力を出し切る、自分の可能性を追求する、知らない世界(いろんな意味で)を見たいことを人生目標としている人もいる。人類には両者が必要なんだろうな?守る人と挑戦する人と。今の天風会は前者の人達だけによって運営されているんだろうな?教えと逆だよね。
「ZOOMで日曜行修会をやっている。」と満足している人も多いだろうが、やはり人の気を受けないので身体の姿勢が少しずつ崩れていることに自分で気付かない。特に歳を取っている人はこの3年間で崩れている。この3年間のロスは取り返しが付かない。そういう人に何かを言ってももう遅いから何も言わない。
「クンバハカとは肩の力を抜いて、臍下丹田に気を込めて、肛門を締めること。」だけを知っている人は何も知らないことを知らない。私も最初の10年はそうだったけど。それ以上のことを80過ぎた人に教えるのは酷だな?
知らない人にとって、知らないことは何も無い。なぜなら頭に概念が無いから。若い女性の前に私が立っていても私が見えない。お爺さんを観るという興味・概念が無いから、見えても見えない。彼女の目の中に私は存在しないのと同じ。
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