いろんな型を学んで統合して自分の新しい型を創る。過去の偉い人はみんなそうしてきたと思う。よく言うところの守破離ですね。池の中で「守」だけをやっていても創始者は喜ばないと思うな。また「守」だけでは宇宙霊と一体には成り得ない。「離」で宇宙を掴める。それで師は本当に喜ぶのだろう。仏教でも親に会えば親を殺し、師に会えば師を殺し、仏に会えば仏を殺し、という言葉があるよね。学問も同じだよね。師を越えて師も喜ぶのは同じ。そこて怒る師は偽物です。ある本にこんな言葉がありました。「稽古を通して学ぶことはすべて型のなかにあり、型をおこなう時は、そのなかに込められた命というものを読み取らねばならない。」と。それを積み重ねて行くと自分の型の発見があるのです。
型を覚えるのでなく形(かたち)を覚えるだけではね〜?
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