「天風先生の写真と同じ形に」と言っても同じ形が出来る人は少数だ。人それぞれ見ている注意点が違うから。同じ写真を見ても形はみんなバラバラになる。一人一人指摘しないといけなくなる。なので、人に直接会って教えを受けないと自分勝手な判断になる。天風先生も言葉で伝えられないクンバハカは写真で「こうするのだ!」と残している。それでも写真から分析的に読み取れる人は少ない。手の合わせ方もそうだよね。猫の手の合わせと同じ人もいる。天風先生の写真を見ても何も読み取っていない。なのでクンバハカは直接教えるしかないので方法論はここには書かない。簡単でもとんでもない解釈をする人もいるので。
神社やお寺ではこれで良いが。
ウクライナ大統領ゼレンスキーの服装を見て、「常在戦場の表現としてカーキー色の服をいつも着ている」とゼレンスキーの意識を見る人もいれば、「毎日違う服を着ている」と服のデザインを見る人もいる。同じものを見てもこれ程違う見方になる。同じように一枚の天風先生の写真を見ても大きく見方が違う。だから幅広い見方を学ばないといけない。
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