何度も書いていますが、天風教義の呼吸操練やクンバハカ、プラナヤーマ呼吸法はウイルスが蔓延して肺炎が拡がっている時にこそ、心の積極を持って外に出てやらなければならなかったものです。それが天風先生の心と教えだと思うんですよね。24ヶ月間それを貫いたのは日向ぼっこ村だけなのは何ともはや。
テレビは尾身愚論、尾身空論と騒いでいますが、コロナは実質終焉しています。死亡者、重症者数の推移を見れば誰でも分かると思うのですが、高齢者はテレビの洗脳がまだ解けない。
PCR検査が正しいものとして、東京では検査3人の内一人が、地方の県では4人の内一人が陽性になっています。今更何をしても無駄な割合です。今日陰性でも三日後には陽性になる数字でもありますね。でも重症者、死亡者はほとんどいません。インフルエンザ流行時より遥かに少ない。それでも明日は重症者数が増えるかも知れない、かも知れない、かも知れないと高齢者は恐れて外に出ない。高齢者は外に出なくても良いけれど、子供や若者、壮年にその犠牲を払わしてはいけない。マスクの付け過ぎで子供の知能が落ちて来ているというニュースもある。呼吸が浅くなるから当然ですよね。丈夫さも減って来るだろう。子供にマスクをさせるのは愚の骨頂だと思うけれど、どうして大人は子供にそんなことさせるのだろう?子供からウイルスを移されたくないから?孫に移されて死ぬんだったら喜んで死ぬぐらいの気持ちが日本人の年寄りから消えた?
「コロナはジジイがあっちに持って行くから安心だよ。」ぐらい言えないのかな?
それにしてもこの24ヶ月間、テレビでは司会もコメンテーターも医者も学者も政府も、「かも知れない、かも知れない、かも知れない、」のオンパレードでした。
「かも知れない。」がいつまで続くのだろう?私はテレビを持っていないのでその耳障りからは解放されている。私も愚痴っぽくなってきた、かも知れない?
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