毎年、モンゴル春祭りでは、興味ありそうなモンゴル・カレッジを聴講している。今回は想定外のテーマにぶつかった。「モンゴル・シャーマンとラッパーとの共通性」。「はぁ~?何を馬鹿なことを?ラッパーなんて音楽、興味無いよ」だよね。
共通点は韻を踏んでいる、ということらしい。言葉に韻を踏んでいると、天から言葉が降ってくるという。シャーマンもラッパーもそうらしい。モンゴルのある天才的ラッパーはバスのエンジン音を遠くから聞くとエンジン音でどのバスが来たか分かるという。バスによって一台一台エンジン音が異なるらしい。そういう聴く特殊な能力は私も理解できる。地の声を聴けるようになるとそうなる。文字のない時代、言い伝えや民族物語に韻を踏ませた語りで覚えて来たという。
「身体に韻を踏ませる」というのが課題だな。天風教義も質問されれば何でも答えられるけど、統一的な説明は私には出来ない。「身体の韻を踏む」が分かれば、その次は、「教えの韻を踏む」かな?先は長いなぁ~?
本をよく読んでよく覚えただけでは天風小学3年だね。教えは、本を読むとそれなりに理性で解るけど、それは知識だけだよね。左脳だけでは身に付かない。まずは会得した人から学ばないといけない。会得していない人からは、「何の本の何ページにどう書いてある」という知識は得られるかも知れないけど。
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