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クコの実

さとうきび酢を買った時にきび酢漬けにすると良いとサービスで瓶入りのクコの実を貰った。それから毎日、少しずつきび酢漬けのクコの実を食べている。
クコの実も健康には良さそうだが中国産のようなので気に掛かるが悪いものは酢で溶けるかな?


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仮説

霊魂という言葉があります。霊と魂は違うものだと思うのだけれど天風教義では説明が無い。神道では説明があると思う。
霊とは宇宙霊の分派で人間的個性は無い。宇宙生命エネルギーと宇宙意識そのもので死んだら大霊(宇宙)に帰る。魂は個性や記憶を持っている。英語で言えばアイデンティティを持っている。輪廻転生の際の主体を成すもの。霊と魂が一対にならないと人間の肉体に入っていけない。ということかな~?
神道では一霊四魂と言ってひとつの魂は四つで出来ていると言われている。
和魂、荒魂、幸魂、奇魂ですね。ギリシャ哲学だったかな?ひとつの魂は3つだったか?の魂で出来ていると書かれていた。神道に似ているなと思った記憶がある。見えないものが見えるようになると世界どこにいても同じものが見えるのかな?
魂魄(こんぱく)というのもありますね。魂は自由自在に世界中のどこかの自分に適した胎児の中に入って産まれますが、魄は先祖代々繋がっている肉体に付随している意識体ですね。魂と魄(遺伝子にくっつく意識)が一対になって人間になっている説があります。
魂だけで存在する時は肉体がありませんので酸素とか空気は必要無い訳ですね。私はかつて金星とか火星とかアンドメダとかプレアウデスにいたとかいろいろ言っている人がいます。私には分かりません。大人が勝手に妄想するのは分かるけど、そういう知識のない子供が、「僕は前は金星にいたんだよ」と言っていろいろ話すこともあるそうです。こういうのは不思議ですね。魂には別に空気や緑を必要としないし、肉体が無いから移動するのにロケットも必要としないし、重力の制限も受けないから、そういうこともあるかも知れないし?妄想かも知れないし?4次元空間世界での話しかも知れないし?ですね。
今、宇宙物理学では多次元宇宙という概念があります。スピリチュアルな世界でも多次元宇宙は語られますね。魂は肉体では越えることの出来ない多次元世界を行き来できるという説もありますね。夢はそういう隣の世界を見に行っているのだという説もあります。さあ~?どうでしょうね?
私は少なくとも多次元宇宙の存在は昔から真理だと思っていますね。その辺のことは学生時代に物理学としてずいぶん考えたな。




親子の情

鳥というのは巣立ったら親子の縁は切れるんだろうなと思いますね。成鳥になってしばらくして親鳥の元にご機嫌伺いに飛んで来るのだろうか?
犬や猫の場合は、大抵は子猫、子犬の時に親から引き離されて人間に貰われて行くのだが、3~5年経って親犬や親猫と再会したら親子の情が残っているのだろうか?そういう事例は聞いたこと無いな。像なんかは離れて時間が経ってもあるような気がするな。ライオンの「野生のエルザ」は有名な物語だな。
人間はいつまで経っても親子の情はあるな。その情の永続性が親のDVなどで逆にマイナスとして消えないという面もあるけど。人間とは不思議なものだ。
エネルギー保存の法則というのは覚えていると思うけど、力学的なエネルギーや熱力学的エネルギーは物理法則として学ぶけれど、意識エネルギーとか心のエネルギーも保存されると思うな。
情も意識エネルギーだよね。おそらく言葉もそうだよね。天風先生も、自分の発した言葉や思いは宇宙霊の中に記録されると言っている。
発した心や言葉のエネルギーはその人の周りに残る。行動(行動には心が付随するから)も含めてそういうもろもろの集合体としてカルマになるんだよね。
マイナス・エネルギーは何かのプラス・エネルギーに昇華させないと永遠にマイナスのまま保存されるわけですね。エネルギー保存の法則。時に人はそれを増幅させてしまう。すなわち悪いこと、苦しいこと、悲運が続いていく原因になる。
マイナスをプラスに昇華させるのが修行(難行苦行ではなく自己統御の修行)であり、世のため人のために何かをすることですね。まずは忘我利他なのかな?
「私は何々、私はあうだこうだ、私は正しい、あの人が悪い、私はあの人嫌い、」と「私は、」という主語を連呼する人はマイナス・エネルギー(カルマ)を増幅しているんだよね。


動的瞑想

昨日、バルテュス展を上野の東京都美術館に見に行った。なぜならバルテュスの奥さんは日本人で天風会員ということで誘われたので見に行くことにした。
「(ひとつの対象物の)デッサンを何枚も描いているとその実在に入っていく」
「絵を描くことは神に近づくという確信がある」
というようなバルテュスの言葉があった。
実在という言葉の意味は瞑想しない人には分からないと思うな。
絵を描くことは動的瞑想なんですね、きっと。そうだと思いますね。
瞬間の命の輝きを表現するにはエロティシズムは表現形式として最適なんでしょうね。



宗教

宗教というものに拒否反応を示す人も多いが、宗教に没頭している人も多い。
しかし日本ほど宗教施設や宗教活動の多い国はない。墓参りもお盆も秋祭りもクリスマスも除夜の鐘も初詣もみんな宗教ですね。日本ほど宗教が空気の存在のようになっている国は無い。空気のようにその存在が余りにも自然なので、日本人の宗教観と空気感の共通性を説明しても外人には分からない。
宗教というと、洗脳、金集めというイメージを持つ人が拒否反応を示す。それは宗教と宗教団体との区別が付いていないと言うことですね。宗教と宗教団体とは違う。
私は何ぞや、この人生をどう生きればよいのか?と考えること自体宗教ですね。哲学と区別付かない。宗教と科学も本来区別が付かない。科学は神の摂理を知ろうと始まっている。哲学者のソクラテスは神(宇宙霊)と繋がっていた。ニュートンの論文の80%は宗教論文である。ニュートンにとって力学や光学論文と神に関する論文との区別は無かった。
科学を勉強することは宗教を勉強することでもある。哲学をすることは神の摂理を考えることでもある。
前に書きましたが、何事も未分離から始まり、分離、独立、連動、統合というように進化は進んで行く。一部の科学者を除いて今の多くの日本人にとって科学と宗教は分離の段階ですね。
そういう意味で天風教義は広義の宗教になる。しかし会が会員を洗脳しないし、金集めもしないし、会員に勧誘を強制しないし、辞めるときに引き留めの何の言葉もないし、宗教団体に認定されていないので狭義の宗教ではない。そういうことですね。人によってひっかけられるのではなく、天風教義は誰かに洗脳されるのではなく、自ら求め、自ら気付き、自分で自分を洗脳する宗教ですね。







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