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未来

アメリカの実話ですが、ある人が脳の中の動脈瘤破裂で倒れてフィラデルフィアの病院に担ぎ込まれて治療を受け、意識が戻り、医者がいろいろ質問した。
「あなたは誰ですか?」、「あなたは何歳ですか?」、「大統領は誰ですか?」
ここまでは正しく答えた。
「あなたは今どこにいますか?」という質問に、
「ハリスバーグ」とその人の人生とは何の関係もない遠く離れた場所を答えた。
それから1ヶ月ほど経って再発して亡くなった。
その時に家族は、臓器提供にサインした。
その人の臓器は切り取られて何人かの人に移植された。 それからしばらく経って病院から何の臓器がどういう人に移植されたかの報告書が家族に届いた。
「心臓が移植されたのは、ペンシルバニアの”ハリスバーグ”に住む53歳の男の人」だと書かれていた。
亡くなる前のその人は、既に未来に行っていたのかも知れませんね。
日本の医者は分からないことは、聞かない、見ない、考えない、信じない、ことにしている。仏教のある宗派の坊主もそうですね。学んだ知識しか信じない。




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過去世

過去世というものがあるかどうか?
そんなもん、在るわけ無い。 あるのなら、ここに出してみろ!ですね。
在るか無いかと言えば、無い。 あるのは今だけ。今、今、今の連続だけ。
しかし在ったかどうかと言えば、在った。
人間、オギャー!と産まれた時に過去世は忘れるように出来ている。
忘れているものは、存在しないとも言えるし、存在するとも言える。
それは認識論の問題ですね。しかしながら、まれに、おっちょこちょいが忘れることを忘れてしまって記憶が残っている人間がいる。病気や事故で臨死体験をして、または私のように何かの拍子で記憶を見てしまう人間もいる。
何の本にはこう書いている。仏教の何々宗では無いと言っているというように、過去世が在るか無いかを知識で議論するのは意味が無い。
スイカを食べたことのない人間同士がスイカの味を議論しているようなもので、実際にスイカを食べたことのある人間はその議論の中にはアホらしくて入らない。お釈迦様の”黙して語らず” ですね。 そして中途半端な知識は害になる。
心が”今”に疎かになって、”過去”に言い訳をして”未来”に逃げて行く。
それと次元の問題でもある。
3次元の世界では過去世は存在しない。あるのは今だけ。
4次元の世界では存在する。
5次元の中では過去、現在、未来すべてがその中に一緒くたに入っているので過去世、未来世は存在しないということになる。なぜなら時間が無いから。
時間が無い世界では、過去も未来も存在しない。そのすべてが入っている所から情報を引き出すことの出来る人が覚者になるわけですね。未来を読める人は5次元のそこから情報を引き出している訳ですね。
天風教義で言えば、それが「安定」です。仏教で言えば、般若の智慧ですね。
今を正しく生きるのなら、過去も未来も何も心配する必要は無いということです。
すべては今の連続。それが仏教でもあり、天風教義でもある。
まあどっちにしても、過去に言い訳をして、人に責任を押しつけて、”今”を正しく生きていない人は過去も未来も大変だ。それに気付けば、充分な悟りだと思う。
時間とは何か?というのは本当に難しい問題ですね。私にはまだ分からない。
ある覚者は言いました。「因果とか過去世というのは本当に難しい問題なのでお釈迦様のように高いレベルで悟った人を探して聞きなさい」と。
「日本人はなぜ、過去世にこだわるのか?」とも言いましたね。
「分からないことは考えるな!」とも言ったかな?
基本的には、知る必要がないから忘れるようになっている。
今の科学には、時間とは何か?空間とは何か?生命とは何か?という質問に答えは用意されていない。科学はそれらの現象を述べているに過ぎない。

今の日本2

こんなのもありましたね。




今の日本




日本語の「思いやり」という意味の言葉を持たない民族・国があるそうです。
言葉が無いということはそういう心や概念が無いということですね。
英語ではsympathyと訳しますがちょっと違うような気もしますが。
少なくとも心に病を抱えている人は他人に対する思いやりというものは持たないような気がするな。いつも自分のことで頭の中が一杯で、「私は、私は、私は、私は、」という言葉がひたすら出てくる。国も同じだね。





幕末維新の頃の日本

外国人が見た幕末・維新の頃の日本

江戸時代(末)に腕のある大工は日本中を渡り歩いて稼ぎ、その稼ぎで自分の田舎には大きな家を建てていた。私の祖先もそうだったが、北前船や回船業を運行する家は庶民の身分でありながら大きな家を建てていた。そのような家は瀬戸内海沿岸、日本海側の都市、佐渡島などにたくさん見られる。 もちろん一航海は命がけだったと思いますけどね。
日本の農民は確かに貧しかっただろうが、ヨーロッパのように農民が農奴のようではなかったと思うな。祭りとか、講というもので結構自分たちの自治的生活を楽しんでいた。侍は他の身分の生活自体を管理、強制していなかったと思えるな。 私の田舎には庄屋はあっても侍というものがいなかったし、大阪も生まれて死ぬまで侍を見たことも無い人も結構いたという。確かに東北の農民は貧しかったかも知れないけど。ちょっとした天候不順で餓死する人も多かっただろうとは思うな。


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