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幸せ

幸せになっている人は、目の前の運命の流れ(縁)を受け入れた人ですね。幸せを掴んでいない人は自分の価値観を持ちすぎてそれにこだわっている人ですね。
同窓会で、「こいつ、ずいぶん泣いたんだな~」と見えたクラスメイトがいたけれど彼女は昔から気が強く自分の価値観や美的感覚を主張していた。彼女はそこそこ美形の女性だったし、親の猛反対する人と恋愛をして結婚したが離婚した。十数年前に一度東京で会って話を聞いたことがあるが、離婚後二つの仕事を掛け持ちして子供を育てたと言っていた。それからも一人泣くことが多かったのだろう。(人前では泣かない気丈さは持っているが、)ますます泣いた目になっていた。
かわいかったBは二十歳で5歳年上の男と見合い結婚した。「どうしてあなたみたいにかわいい人がまだ二十歳なのにわざわざ見合い結婚をするのか?これからいい人と出会って恋愛結婚をしようとしないのか?」みたいなことを彼女の結婚前に偶然港で出会ったときに聞いた。「縁があるうちにと思って」という彼女の答えだった。還暦を迎える歳になって相変わらず穏やかな顔をしていた。彼女は運命の流れをわずか二十歳で素直に受け入れたんですよね。その素直さが素直な人生の結果になっているような気がした。
運命は決まっているという説もあるし、運命は選択的に変えられるという説もある。結婚相手は生まれたときに決まっているという説もあるし、そうでないと主張する人も多い。どれが正しいか私には分からないが、中二の時に、運命は葉っぱの裏のスジのように人生の所々に選択的に道別れがある、その道別れを右に選ぶか左に選ぶかでその後は決まってくるということになぜか気付いた。そして今、結局、右を選んでも左を選んでもカルマの法則からは逃げられないということを私は言っている。
私は不思議に自分のカルマを抱きしめていつでも死ねるという覚悟というか感覚は高校時代から持っている。男は、誰かを守るためなら死ねるという遺伝子があるような気がする。今は命をかけて守るものが無いからひ弱な男の子になっていくかも?女は自分の幸せのために生きられるが、男は本来自分のためには力が出ない動物なのです。
過去のカルマからは逃げられないが、それは何が起きても受け止めるしかない。ただその後どうなるかはその時に勇気を出したかどうか、勇気を持って受け入れたかどうかが次の流れを決めるということはあるような気がする。ポイントは自分の本心に対して勇気を出すということですね。傷つかないという安全のために本心を隠して逃げたら未来は、来世は厳しいかも?そんな気がします。幸せになるには二番目であることを受け入れることですね。良くは分からないが、Bは二十歳で二番目を受け入れたのではないでしょうか?自分にとっても、相手にとっても。二番目を受け入れたために結局一番になった。だから幸せが継続しているのかも知れない。二番目であることを受け入れることの出来ない人は永遠に一番にはなれないということかも?
それと私とは違う小学校だけれど中学高校時代といじめっ子というか不良というか、42年ぶりに現れたそういう人も一人いた。誰も話しかける友達もなく、どっちかというとみすぼらしい姿をしていた。まあ、高校卒業して40年以上経つとそれなりに人生の結果が出るよね。因果律は間違いなく働いていると思う。人をいじめてはいけない。ちなみに私はまだ人生の結論は出ていない。まだチャレンジャーだからね。
そしてBにもCにも、今生でもう二度と会うことは無いのだろうなと思う。来世でも会わないかもね、魂の縁が無いから。何はともあれどんな縁も常に大切にしないとな~。私は縁を大切にしてこなかったと思う。縁を大切にする勇気がなかった。魂の縁から逃げると来世でも運命や性格はひねくれるかもね~?ほんと、前世の問題を今生で繰り返すだけで解決しないまま終わるのもありそうだ。
少なくとも前世の未解決の問題は今生で同じように繰り返される。それに対して違う対応をするか同じ対応をするかでこれから残された今生が変わってくるが、どうも人は前回と同じ反応をする傾向があるみたいだ。思考癖が直らない。要するに人は常に本心に従う勇気が試されているんですね。今逃げれば次も逃げることになる。だから、「今、ここ」なんですね。「今」がすべてなんですね。今の勇気がなければ明日の勇気もない。
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一生、二生、三生

そうだよね~生き方の本を読み始めて43年、生き方をまずまず学び始めて30年、天風会入って20年、で、どれだけ進歩したのだろう?大雑把に言って、30歳から30年学んで60歳、40歳から30年学んで70歳。その30年、40年学んでどれだけ進歩した人がいるのだろう?30年、40年で大した進歩をしていないのなら、そのまま続けて倍の80年学んで進歩するのだろうか?一生、実質40年で出来なかったことが二生、80年で出来る理由はない。一生が遅々なら二生でも遅々。30年学んで、「あの先生はこの先生より劣る」とか「あっちの教えの方がこっちより易しい」とか自分のことを棚に上げて他を比較、批判、批評することだけが身に付いてくる。それでは30年学んだことが何も身に付いていないことになる。大事なことは自分が変わることですね。人を批判することから批判しない事への変化、心の中の沈黙(無心)を維持する力、自分を忘れて人に貢献する力、自分が楽しむことから人を楽しませる心、いつでも人のために命を投げ出せる静かなる覚悟、そのように自分がどれだけ変わったかが大事ですね。そうでなければ一生、二生、三生と生きてもほとんど進化がないと言うことになる。進歩無き永遠の繰り返しの輪廻。一生は、何かを学びそれを身につけるにはあまりに短い。誰々の良い話を聞いて自分が進化したような錯覚をして満足しているようなら、その縁は有り難いがその一生はあまりに勿体ない。簡単に言うと、「私が幸せなら他はどうでもいいのよ」から「みんなの幸せがあって始めて私の幸せがある」に変化しないと。

ミルクカレーうどん

一昨日、久しぶりに巣鴨で降りて、とげ抜き地蔵寺の横にあるミルクカレーうどん店「古奈屋」に行ってきた。昼はインスタントうどんに夕食はここのうどんになった。メニューを見ているといつの間にか支店が7,8店出来ていた。池袋の東武デパートに出来ていたのは知っていたけれど、いつの間にか一流の場所とビルに店を増やしていた。立派なものだ。以前はいつも行列が出来ていて4時に営業が終わっていたけれど8時まで営業時間が延びていた。東武デパートの中の店でも一度食べたことがあるが味が微妙に違う。そんな話をしたら、「計量カップできちんと計って同じに作っているんですけどね~?」とオーナーのちょっと老けたおばさんが言っていた。そうだよね~、初めて行ってから20数年経つもんね~。向こうも20数年歳を取っているんだから。「みんな直営店なんだけれど大変なのよ~」と言っていた。「そうですね、大きくなったら大きくなったで大変なことがありますからね~」と答えておいた。ちなみにここのうどんを20数年前に始めて食べたときの感想は、「こんなのうどんじゃない!でも美味い!」だったな。

暖房

昨夜、この冬始めて寝室の暖房(オイル・ヒーター)を入れた。昼間はどの部屋もまったく暖房の必要なし。それにしても南向きに窓のあるマンションは暖かい。乾燥で身体がかゆい。年と共に水分が減って乾燥肌に進んでいるのだろう。乾燥防止クリームを塗らないといけない歳になったのはショック!実は私の隠された特徴のひとつは、赤ん坊の時から肌が”すべすべ”ということなんです。今までいったい何人が、「ワッ、気持ちいい~!」と私の背中やお腹を触ったことでしょうか?それは内緒です。そのすべすべ肌が乾燥肌になっていくのは忍びない。

一番二番

人は誰でも自分が一番思われている、一番愛されている、相手にとって一番の存在であることを望んでいるが男はその一番を獲得することは無いし二番目や三番目であることを受け入れている。女性は自分にとって自分が一番だし、亭主にとって、または恋人にとって自分が一番で100%の存在でないと満足しないようだ。自分が二番目の存在で満足出来るようになると魂のやすらぎが生まれてくるかも?60点で満足出来るかどうかですね。100点満点の亭主とか恋人とか子供は、99.7%の人にとって得られないのだから。男は学校の成績で一番を取っても一番の存在にはなれない。いくら成績が良くても美人という存在感には勝てない。だから男は学校でも家でも社会でも二番、三番目であることを刹那的に受け入れている。いや、二番ということもないな。一番良くて三番目だな。家の中では女房にとって一番は自分自身、二番が子供、三番目に亭主となるのだから。それをほとんどの亭主は受け入れているが、受け入れることの出来ない男は永久に幸せはやってこない。それに逆らおうと努力したのが皇帝とか王様とかなのかも知れないけれど、大抵その末路は哀れだ。女性も、「自分が二番目で満足」という心を持つと幸せになれると思うのだが、雌の動物遺伝子のDNAにはそういう思考は組み込まれていないようだ。
動物遺伝子DNA(利己的遺伝子)から導かれる思考と魂から生まれる思考の区別がいくらスピリチュアルな勉強をしてもできない人が多い。それもまたDNAの仕業かもね。「今、ここ」に立つために過去のすべてが存在しているのだから、自分の過去も相手の過去も人の過去すべて肯定が魂の思考ではあるな。受け入れられない、許せない、我慢できないは動物遺伝子からの思考ですね。ただそれも過去生のカルマから影響を受けているのも多い。時々、「あ~、あの時の心が今の感情に繋がっているんだな~。今、こういう形で復讐されているのかな~?」と若干過去生の罪の意識を感じながら人を見るときがある。二生ぐらいでは心の傷は消せないのかもな~?本当は自分(我)を消して、流れに自分を全託すると、”フッ”と上昇するのになと思うことがあるけれど私は何も言えないでいる。ほんと、何でも、三生、200年かかるのかもな~?


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