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責任

マスコミもいい加減ですよね。まあ、昔から分かっていることですけど。「普天間問題で公約を果たせなかったのだから責任を取って辞任すべきだ」と語り、辞任を発表すれば「辞めれば済む問題ではない。辞めて逃げるのは無責任だ」と論調が出てくる。続ければ辞めろと言い、辞めれば無責任だと攻撃する。それが日本のマスコミの態度ですね。
自民党が政権を維持していたとしても支持率は10%ぐらいになっていたのではないでしょうか。誰がやっても支持率は低下していた。なぜなら政治も産業も日本は制度疲労・システム疲労を起こしているからなんです。経済もただ税金をつぎ込めば回復するという評論家もいるけれど、今まで何度もお金をつぎ込んでもうまくいかなかった。それは制度、システムがもう現在の流れに合わなくなってきているからですね。国家の産業計画の重点項目や税制を変えるべきなんですね。日本がこれから何を持って成長するのかを明確にしてそこにお金をつぎ込まなければならない。戦後の復興計画においても産業重点政策があったし、今の中国、韓国も国家による産業重点政策に基づく支援を集中的にやっている。それが中国、韓国の景気上昇になっている。日本人も走る方向が明確になれば頑張る民族なんですよね。今、その方向が無い。自動車のHVと3次元テレビというぐらいしかみみっちいものしかない。ドイツなんかも明確にこれから進む国家の産業基盤を決めて進んでいる。子供手当なんてものも良いかも知れないけれど、そのお金を先に稼ぐことを考えないと。稼ぐための産業育成を考えないで、お金を先に借金して使うというやり方だもんな~。
技術立国という言葉はどこに消えてしまったのだろう?借金立国になってしまった。借金立国もあと数年で成り立たなくなるのだから。
お金と利権と票という予算制度から脱却しないと日本の再生はないだろうな~。お金と利権と票の関係のプロが小沢一郎だもんな。これから小沢院政だな。票獲得予算戦略はあっても国家再生戦略は無いのが日本ですね。これから衰退する鉄鋼業、造船業、農業、漁業、中小企業産業、電気産業を潰すのか、育成するのか、どう育成するのか、電子部品産業をどうするのか、コンピューター産業をどうするか、伸びるも潰れるも民間だけに任すもの、育成するために国が支援するもの、共同で開発するもの、そういうことを明確にすれば日本は伸びる。まあ、多少は票のためのさじ加減の領域も必要悪で必要だろうけど。少なくとも国家30年の計がなくては。
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モンゴル

あ~、今年の夏もモンゴルに行けない。欲求不満が溜まるな~!今年のお盆は田舎に帰ることにする。母親がこの春に自転車で転んで大怪我をしたから、もう退院はしているけれど、まあ、墓参りに帰るかな。
ほんと、モンゴルの草原は良い。何かこう、すべてのしがらみから魂が解放されるような感じですね。こればっかりはモンゴルに行った人間にしか分からない。日本で似たような経験は出来ないのだから。

お寺を行脚

昨日も仕事の帰りに、ちらしを配りに駒込から田端方面を歩き7軒のお寺を回りました。ほんと、日本は不思議で平和な国です。そして宗派ごとに、お寺ごとに空気が違いますね。不思議ですね。そして空気が如何に重要かということを改めて認識しました。宗派で言えば、禅宗の曹洞宗が概ね一番良いですね。独特の緊張感と人の良さが漂っています。まあ、それだけ歩いて回っても坊主が自主上映に来てくれる可能性は低いですね。宗教ルネッサンスが必要だと改めてつくづく思いました。
ほんと、みんな、井の中の蛙ですが、大洋に出なくてもその井をたくさん見てみれば見えてくるものがあります。

平和主義

日本は憲法により平和主義を国是としています。とりあえずこれは誰も異存がないですね。で、日本は国の安全を維持するためにアメリカと日米安保条約を結んでいます。これも事実として誰も異存がないですね。
たとえば喧嘩の弱いひ弱な人が、「私は喧嘩が弱いので人と喧嘩しない平和主義です。でも、私に殴りかかってきたら、いつも連れている身長2mの大男で暴力団の組員である用心棒があなたを半殺しの目に遭わせます」と言います。これ?平和主義ですか?ちょっと卑怯な考え方ではないですか?考えてみましょう。おそらく、どこの国の憲法も平和主義をうたっていると思います。
ハイチの地震災害に少し自衛隊が派遣されました。もちろん自衛隊は日本の法律によって暴動など万一の時に武力の行使が出来ません。日本では報道されていませんが、自衛隊はスリランカの軍隊に守って貰ったと言います。スリランカの軍隊も災害派遣に行っているんですよね。別の国の災害派遣の要員を自分を守って貰うために使う。そういう憲法や法律って何か変ですよね。「私が誰かに攻められたら守ってください。でもあなたが誰かに攻められても私は助けに行けません。たとえあなたが私の隣にいても」ということですから。それって平和主義とは言えない気がするんですけど?
「私は殴られても構いません。私は反撃しません。殺されても恨みません。私は抵抗しません。」というのが平和主義のような気がしますが。では、国もそれで良いのかどうかということですね。それは国民がたくさんの考えられる危機の状況を想定して、どういう場合にどうするか、こういう場合はどうするかを議論して決めないといけないことですね。100人の軍隊が攻めてきても平和主義だから抵抗しないで白旗を揚げます。それはそれで平和主義ですね。その後、占領されて相手国の帝国主義の尖兵として徴兵されるかも知れない。平和主義が帝国主義に協力する形になりますね。徴兵なんか拒否すれば良いと人は言うかも知れません。そうすれば反逆罪で銃殺されます。その覚悟の平和主義ならそれもひとつの形ですね。銃殺される平和主義か、占領国の軍隊の尖兵として戦争の最前線に立ち帝国主義に協力するか、選択は自由ですね。国を守るということ、平和主義とは何なのかということを考えないといけないですね。今まで65年、日本人は考えないできました。考えないで済む平和な環境にいました。有り難いことです。考えたくないことは考えないで来ました。これからも考えることを先送りできれば有り難いのですが・・・・。

現在の平和憲法において、例えばどこかの国が1000人で武力を持って船で渡ってきたとします。その軍隊が武力を行使したときのみ自衛隊は正当防衛として反撃できますが、もし彼らが発砲しないまま来たら自衛隊はどうすることも出来ません。で、警察や海上保安庁が不法侵入、銃器不法所有で逮捕に向かいます。はてはて、1000人の次は1万人が武力を持って武力を行使せずに同じようにやってきます。そして警察が同じように逮捕します。次に10万人の軍隊が日本の警察に逮捕されるためにやって来ます。さてさてその取り上げた武器は保管しないといけないです。次にその保管した武器を国内にいる在日同胞が奪いに行きます。刑務所も破壊します。でも、発砲しません。治安維持法で自衛隊は囲むだけです。次々に同じような状況が鉄砲を一発も撃たないまま日本中に蔓延します。気がついたら自衛隊の人数では手に負えない状況になり、いつの間にか占領されているというシナリオも書けますね。これは現在の憲法と法律の持つ危険な可能性です。
で、そのような状況を喜ぶのは、「平和憲法を守れ」と言ってきた人たちですね。「これで日本を壊すことが出来た。これで私達がここで指導者になれる」と。しかし、用済みになったその人たちも徴兵されてどこかの最前線に回されて占領国から捨てられるのです。国を売ったり、裏切った人は新しい支配者に重用されるのでなく抹殺されるのです。これも歴史の常ですね。

国として独立と平和を維持するには覚悟が必要なのです。ドイツなんかも外国からの直接的脅威は無いけれど、アメリカ軍に居て貰えるように努力しているのです。日本以上にドイツにはアメリカ軍の駐留部隊がいます。アメリカ軍がドイツにたくさんいることで実は周りの国、特にフランスなんかは安心していられるのです。日本からアメリカ軍が居なくなったら不安になるのは実は中国と韓国なのです。日本が巨大な再軍備をするかもしれないという恐怖感から、日本が強くなる前に日本を叩こうという気持ちが生まれるのです。日本は突然なにをしでかすか分からないという恐怖感はあると思いますよ、彼らから見ると。たとえ日本人がそのつもりが無くても外からはそう見えてしまう。なぜなら、戦争に負けて軍国主義から突然180度平和主義になったわけですから、アメリカ軍がいなくなるとまた突然変わるかも知れないと。変わる前に叩いて占領しろ!と。

例えば、ガンジーは無抵抗主義を貫きました。とても感動する立派なことです。でも、首相になってから軍隊を無抵抗主義にしたかというとしていません。軍隊を解体したかというとしていません。もちろん戦争をしない努力はしました。個人の信念としての無抵抗主義と国家としての無抵抗主義は違うんですよね。

我有り、故に我思う

そうですね~、坐禅、瞑想、または安定打坐などを通して実我を自分の中にきちんと認識(心眼で見る)できないとこれは分からない話かもね~?
「我思う、故に我有り」は西洋人の認識論理であり、「我有り、故に我思う」は東洋人(インド人のヨギも含む)の認識感覚ということですね。


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