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悟り

今朝も荒川の土手に行って富士山を見ようと思ったがとんちんかんなことが続いて見に行けなかった。トイレは私の読書タイムですが、歴史街道という坂本龍馬と岩崎弥太郎の特集の2月号を開いて坂本龍馬の写真を眺めていたら、「えっ!なにっ!この手の結びは?!何っ、この姿勢は!あ~、剣禅一致が出来ている。この人悟っている、あ~、これはたまらん!」と気付いた。(興味ある人は立ち読みでどうぞ、ページ21、写真番号3)悟れば生死一如、そして私欲はなくなる。それがすべて姿勢と視線に現れる。これでは人は付いていくし、人は動かされるな。力が入っている人(まだ悟っていない人)の話しは聞く方も構えてしまう。龍馬が浪人の身でありながらいろんな偉い人に会えたのはそういうことなんですね。当時の偉い人は人の姿勢を見ただけでその人物が分かったはずだろうから。悟っていない人が同じ事を言っても単なる戯言になる。そんな話しは誰も聞かない。昔の言葉で言えば剣禅一致、今の言葉で言えば悟り、これが出発点なんですね。評論家が述べるのは起きた現象だけで本質をつかまえていない。いや~、しかし参った!
ちなみに私はNHKの大河ドラマは見ていません。それは歴史を題材にした単なるエンターテイメント・ドラマだからです。史実とは関係がない。そしてNHKの歴史番組もディレクターの個人的史観から捉え客観的に見ようとしなくなっている。大河ドラマだけでなくNHKの歴史番組も見なくなった。そしてテレビ自体を見なくなった。
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高速道路

dbdf379c.jpeg高速道路の地図をインターネットで見ていると、美女木1丁目にある私のマンションは美女木ジャンクションの近くなので車があると本当に便利みたいだ。バイクの免許でも持っていると便利なんだけどなぁ~。写真は美女木ジャンクションより少し北の大宮バイパスを荒川の中にある堤防土手から武蔵浦和の方向(北東?)に撮ったもの。私のマンションはこの写真の中央ちょっと左の赤いマーク(ヤマダ電機)の向こうのバイパスを超えた方向の真下になるな。

似た人

今日、ついでがあったので母校(大学)のかつていつも歩いていた道を歩いた。一号館は建て直されていたけれど他は30数年前とまったく同じだった。学生も同じだった。流行と関係なく、ファッションと関係なく、豊かさと関係なく、大半は恋愛とも関係なく4年間を過ごす。今も昔も学生は同じに生きている。時の移ろいがない。
「お~い、馬鹿どもよ~!頑張れよ~!」と声をかけたくなった。出来ることならもう一度大学に戻って勉強したい。分からないことが分かっただけだもんな~。もう少し、分かりたいな~。数学科のみかちゃん、今頃おばあさんになっているのだろうか?あんなにかわいい女性にはその後会ったことがない。
その後、秋葉原に電気部品を買いに行った。改札口で、「えっ、Aにそっくりだな」という人にあった。その後、美女木の100円ショップで「えっ!」と驚くほどBに似た人にあった。ちなみにAとBは同じ霊魂(分け御魂)を所有していると私は見ている。それにしても不思議だなぁ~?ちなみに今日は少し風邪を引いている。そのせいか?幻を見るのは。AもBも幻?かも。
ただ今、6時50分これから寝ることにする。風邪を悪化させては仕事に差し支えるから。

鬱病

鬱病は人間が動物として持っていながら普通はオフになっている冬眠遺伝子がオンになっているという説があります。だから多くの動物が冬眠する北欧では鬱病が多い?鬱病になると太陽の日を浴びられなくなるのもそういうことですね。それにしても鬱はまるで日本や先進国で伝染病のように拡がっている。
私は病名を変えれば良いと思います。「どうでもいいことを気にする病気」と。
患者、「どうでもいいことを気にする病気になりました。」
医者、「そうですか、どうでもいいことを気にしますか」、
患者、「はい、どうでもいいことを気にします。」
医者、「じゃあ、どうでもいいんじゃないですか。飲んでも飲まなくてもどうでもいい薬を出しましょう。」
もちろんこんなことを今誰かが公に言い始めたら鬱患者や医者や医学界から猛烈な攻撃を受けることになるでしょう。なぜならそれが本当だからです。鬱患者は鬱になって苦しんでいるという自分の存在感を失うし(苦しい苦しいと言うことで自分の存在感をアピールしている)、そしてその存在感を与えるために医者は患者に難しい病名を付けてあげる。そして患者は信念する、「私の病気は他の人と違う難しいものなんだ。私は特別なんだ」と。そうして医者や薬品業界が儲かるようになっている。
病名というものは専門家が付けるから難しくなる。最初から「どうでもいいことを気にする病」と名付けていれば何も問題は無かったのにと思うのだが。
心の病を持っている人は、「私の苦しみを誰も分かってくれない」とか「誰も私を分かってくれようとしない」とか「私の苦しみは私にしか分からない」とか言います。
だいたい自分を人に分かって貰いたい思うこと自体傲慢でわがままですね。人は人を本来理解できないのです。自分自身も分からないのに他人様が分かるはずがない。理解しようと努めてくれる人がいればそれが幸せなんですけどね。それが分かれば心の病は快方に向かう。
男と女の関係もそうですね。お互い理解なんて永久に出来ない。遺伝子のプログラムが違うのだから。ただ理解しようと努力してくれる人がいることが幸せなんですね。それだけなんです。

天風先生

以前、「地球一切を救うヴィジョン」という本を自分で本の紹介欄に紹介していながらやっと読み切りました。この本の中に「中村天風」という名前が二度出てきます。それも中村天風先生という表現で。「なんでこんなところに?」という感じですね。天風先生の悟りや教えはヨガを元にしていますが心は神道ですね。それをかつて務名先生に聞いたことがあります。答えは、「その通りです」でした。そういうふうに判断している先生方は天風会にどれくらいいるのでしょう?
天風先生の教えが如何にすばらしいかったとしても、どうして皇居にフリーパスで入れたのでしょうか?どうして皇族方が夏期修練会に庶民と一緒に参加出来たのでしょうか?天皇に対して偉い先生方によるご進講というのは今も昔も続いていますがその先生方で皇居にフリーパスというのは聞いたことがありません。なぜ天風先生だけが可能だったのでしょうか?そんな疑問を私はずーっと持っていました。立花家のお殿様の血統だから?もちろんそれも一つでしょうが・・・上記の本がその答えのヒントになるかも?まあ、突拍子もないことがたくさん書かれていますが。
同じ天風会に入っている天風会員でもそれぞれの人が持っている霊統というのはあるかもしれませんね~?霊統が違うと教義の理解の仕方や深さが違ってくるし、会員同士の人間関係も違ってくるかも?その違いは理解不能でどうしようもないかも知れないし、しかしながら違う霊統の人が同時に同じものを学んでいるということは本当に素晴らしいことで、それが天風狭義の一番意味のあることかも知れない。
まあ、私の言っていることを理解できる会員は少ないというのは、学びの深さの違いというだけでなくそういうこともあるのかも?何かを多く語らなくても「あっ、なるほど」と理解できるのは同じ霊統だからかも?まあ、この説は仮説ですけど。
先日ある人から、「村長さんは、釈迦やキリストのような人ですね」と言われましたが、否定表現を使うとその人の頭の中に否定的マイナスのエネルギーが生まれるから(脳の中の気の回転がマイナス方向に回転する)、まあ、ここは否定表現は使わない方が良いだろうと思い、「ひょっとしたらそれに近いかもよ~」とちゃかして答えましたが、まあそんなことも????およよよ。それにしても、ここで私が否定形の言葉を発すると相手の気の回転が逆転するとなぜ分かるのでしょう?不思議だ。
仮説の仮説ですけど、天風先生の気の流れを受けている人(直接会ったかどうかは関係が無い)は神道系に共鳴する要素があるような?仏教から学ぶものは多いけれど知識や参考として学ぶだけで。
天風会員で日本の仏教の気の流れを受けている人はとらえ方が狭義的になりやすいかも?もちろん本当の仏教の流れを持っていれば違いますよ。本物はみんな広いのです。何でも本物には違いは無いのですから。
ちなみに、おそらく霊統の違いというものは心がジャンプすると乗り換えることが出来ると思います。「違うから」ということで乗り換えようとしない人が多い。神道では神様違いという表現になる。逆に同じ霊統にいても違うと勘違いしている場合もあるし、ほんと、人間は面倒な生きものだね。


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