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仕事2

私がやっている英語サークルで昨年春に入ってきた若い人が中年にまじって勉強が続いている。先週土曜に突然、「私今度転職することになりました」と。みんなで、「ええ~っ!」と。「実は(年に数度参加するだけの航空管制官のOB)Hさんの紹介で航空管制官採用試験を受けたら合格しました。今度航空管制官になります。秋から航空保安大学に行きます」と。もう一度みんなで、「え~っ!」。で、昨日その旨をHさんに電話で報告したら、「サークルの実力がとても高いことの証明ですね。今、管制官はエリートで、試験は競争率が高くてとても難しいのに」とのこと。しかし私としては、まあある意味で私が人の人生を変えてしまったことがちょっと怖いですね。
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仕事

前にも書いたけれど仕事が次々に入ってくる。「どうしよう?」とため息が出る。技術的に出来ないものはできないと言えるのだけれど・・・・やれば出来るものを出来ないとは言えない。仕事が多すぎると何から始めて良いか身体がフリーズしてしまう。これも自分が蒔いた種。
昨年、「板橋のマンションを売るべきか売らないでも大丈夫か?」を自分でO-リングテストをしたときにどちらでもOKの答えが出たけれどその意味が今分かるような気がします。でもここ美女木は不便は多いけれど板橋のマンションは売って良かったと思っています。ここは富士山が見られるし。抗酸化処理している部屋の中にいると落ち着くし。
男の幸せは後顧の憂い無く仕事(狩り)に専念できること。女の幸せは自分を守ってくれる存在(自分と自分の子供のために食料を確実に持って帰る男)があること。これが数十万年の人類の作り上げてきた形ですがこれが壊れ始めている。女も狩りに行きたがるし、また狩りに行かなければ生活できなくなっている。都市生活形式では男と女の仕事の区別がほとんどない。戦争にしても現代の戦闘機の操縦は女にでもできるようになった。そして男も家事や育児をしなくてはならなくなってきている。役割分担が消え単なるコストの分担が始まっている。これは良い悪いではなく人類の種としての変化かも知れない。結婚しない女、結婚できない男が増えているのは、その変化時おける摩擦の現れですね、きっと。人類の進化の先端かも?先端にいることでの犠牲ですな。表面的には男の犠牲が大きいけれど子供を産まないことで大きい目で見ると女の損が大きいような気がする。目の前の小さな自由という幸せを選ぶことで将来の大きな幸せと動物としての満足を失うことになるのだから。人間はどこまで行っても動物なのだから。幸せという観点から見ると古い形を守っている方が遺伝子のプログラムになじみやすく幸せ度は大きい。進化の先頭グループはいつの時代でも死屍累々になる。その後ろに続く者がその恩恵にあずかることになる。

富士山2

535f4302.jpeg今日夕方、富士山の夕景が見られるかな?と荒川の土手に行ってきました。残念ながら富士山の周りは雲や霞がかかっていて見えませんでした。雲は富士山に西から東に吹く風や北から南に吹く風で作られるということがここ1両日の観察でよく分かるようになりました。で、まあ、今日は富士山は見られないけれど夕日が山に沈むのは見られる。しかし写真に撮るほどでもないのでカメラはバッグに仕舞い荒川の土手の帰り道を自転車で走っていました。「富士山は見えなくても良いけど見えるとうれしいな」と気楽に思っていたら太陽が遠くの山に落ちる直前に富士山の方へ目をやると富士山の周りの雲が晴れていました。あららら、またまたそうなってしまいました。どうしていつもいつもこうなってしまうのだろう?と思いながら自転車を止め急いでバッグからカメラを取り出し写真を撮りました。それが上の写真。飛行機も飛んでいました。
その後、自転車をハアハア言いながら漕いでの帰り道、「みんな車で移動するのに、この歳で自転車で走っているのは俺だけだな。50年以上自転車に乗って走っている。でもこの不便さと大変さを選んでいることで腰痛にもギックリ腰にもならず健康でいられるのだ」と自分を納得させながら土手の登り道を、ハアハア。

富士山

dc4104e3.jpeg私のマンションから自転車で約5分で富士山が見られます。富士山が見られるということはこのマンションを買った時の考慮の中にはありませんでした。武蔵浦和駅から西方向正面に富士山が見えて、「えっ、こんなところに富士山が!」という驚きでしたね。今朝は太陽から富士山に向かって雲があったので少し残念でしたがこのような写真が撮れました。富士山と同じ形をした山はニュージランドにもペルーにもあるけれど、ほんと富士山は特別ですね。富士山が火山活動で爆発して無くなったら日本人はどうなるのだろう?富士山、天皇、伊勢神宮というのは日本のへそのような気がします。ちなみにここからの富士山は空気の澄んだ冬にしか見られないそうです。

写真

絵や写真を見てそれを描いた人、撮った人の心が多少は自分なりに読めていたけれど今自分が撮った写真を見て読めないですね。20代の半ばに写真に凝ったことがあります。そして10年前も一眼レフカメラを買って写真を撮っていました。それから比べて今の私の感性は、なんかずいぶん変わったような気がします。昔は意図して撮って良い写真が撮れなかった。今は特に意図しないで良い写真が撮れる。自分が撮った写真が自分が撮った写真じゃないような気がする。カメラのせい?いえいえ力が抜けて適当に撮った写真が教科書的でない結構面白い写真になっていると思う。我ながらちょっと神懸かり的な出来映えで私の実力ではないような?なんか不思議だな。
この正月、田舎でいとことその娘と亭主の3人の写真を撮った。「あれ~?どこかでこんな写真見たことあるなぁ~、何だろう?」と考えていたら30年前にそのいとこが二十歳の短大卒業時の正月にその両親(私の叔父、叔母)と3人の写真をまったく同じ場所で撮っていたのを思い出した。30年経ってまったく同じ場所でそのいとこの娘が大学卒業する今年の正月にそういう写真を撮るというのは不思議な偶然だ。そこで写真を撮るということを考えていたわけではない。たまたまその場所で出くわし、たまたまカメラを持っていたから、「写真を撮ってやろう」と言ったまでで何も考えていなかったけれど考えてみたら30年前の正月とまったく同じ光景だった。ただ子供が親になって世代が変わっていただけ。で、その場所は15年前に亡くなった叔父が描いた大きな絵が飾られている小さな神社(荒神山)の石の階段の踊り場だった。孫娘の大学卒業年度に30年前の娘の卒業年度と同じ光景の写真を撮るように叔父に計られたのかも?その間の30年間一度も私は彼らの写真は撮っていない。たまたま30年ぶりに撮った写真がそういう写真だった。30年経って世代が変わってまったく同じ写真を撮る。幸せというものはそういうものですね。


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