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進化

941c5996.jpegキリスト教でも、天風先生も言っていますが、「疑って信じないより、信じて欺される方がよい」と。私はこれには疑問符でした。欺されて全財産失って家族を不幸にする馬鹿をするより信じないで財産を維持して家族を守った方が賢明ではないかと。よく考えてみると違うかも知れません。疑って実行しないより、欺されて実行した方が魂の進化のための輪廻転生という過程の中での経験という大事な学びになる。何事も実行して経験しなければ学びも進化もない。実行する人間は気がつけば自ら実行の方向を変えることが出来るが、あ~だ、こ~だと理屈を付けて疑って実行しない人間は進化もしないし救えない。もちろん正しいものを信じるということが一番正しいのだが往々にして人は(宗教とか国家とか学校とかの)組織の教えというものに洗脳されることがある。(写真は今日の六義園午後1時半頃)
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仕事の台風

今日の夕方で仕事の台風がとりあえず過ぎ去った。この一ヶ月が1年も続いたら過労死してしまうな。何のために働いているのやらということになってしまう。明日は机の上を整理して仕事は少しだけして休憩だな。まあ、毎月1日はほとんど仕事をしたことがないけれど・・・。結局、3月は一度もテレビを見なかった。2月も一度見ただけだ。

人間

「人間は肉体を持った亡霊」だな。
本当に困ったもんだ。どうして成長しないんだろう?亡霊はひたすら同じところをさ迷う。人間にもいるよね、心がいつも同じところをさ迷っている人。
「生きるの辛い。でも死ぬの怖い。どうすればいいのですか?」
「あなたはもう死んでいるのですよ」、
「でも私はここにこうしているじゃないですか?私は死んでなんかいません。」
肉体を持っても、肉体を失っても同じところをさ迷っている。

10年くらい前からアセンションという言葉が拡がっています。まあ、知らない人は知らないのですが。本当にそういうことがあるかどうかは私には分かりませんが、ただ人の心のレベルが、または魂というものが、進化し始めている人と進化しないでいる人の区別がハッキリしてきているというのは言えます。進化しないで取り残されている人はもちろんそうだとは気付いていません。「何を馬鹿なことを」と言って何も気付いていないから救われるのです。取り残されているのに気付いたら心が苦しくなるから。もう後戻り出来ない段階に来ているのではないでしょうか?昨年あたりから取り残された人間はもう救えないと感じています。気付いていない人を気付かせる時代は過ぎ去って、気付いて進化している人をより進化するための手伝いの段階ではないでしょうか?一昨年あたりが進化の道を選ぶラスト・チャンスだったのかも知れませんね。気付いていない人が「肉体を持った亡霊」なんです。
「・・ください、・・・ください」とか「私は・・、私は・・」と連呼しながら人から人へとさ迷い歩く人ですね。答えはもう出てしまっているかも?まあ、これらは私の勝手な想像ですが・・・
 

六義園桜パート2

5f65ec00.jpeg  a6d96716.jpeg朝9時過ぎに行ってきました。7分咲きぐらいかな?
今日は冬のように冷たい。昨日も今日もやけに頭が寒い。頭の毛が少なくなってきているせいだろうか?毛糸の帽子ではなく普通の帽子も買おうかな~?モンゴルの草原で使用するための夏用は持っているのだが。
昨日、秋葉原の電気街で少年が万引きしているのを見つけて彼の背中を強くドンと叩いて、「何やってんだ!出せ!そんなことするな!」と注意した。万引きをしているのを見つけて注意したのはこれで2回目だ。何となく虚しいね。彼は、または彼らは、またやるのだろうな。母親の愛情不足からくる欲求不満をそういう形で昇華しているのだろう。どういう言葉をかければ反省して再発を防ぐのか考えたが難しい。原因は母親だけど母親は自分が原因だとは理解できない。だから本人にそういうことを注意しても効果は少ない。でもまあ、中学生以上の歳で万引きをする子供は将来偉くならないな。そういうせこい性格では技術的な挑戦やビジネスの困難に立ち向かえない。
そういえば25年ぐらい前に三鷹駅でチンピラに注意してぶん殴られたことがあったなぁ~。眼鏡が飛んでレンズが割れて新しい眼鏡が出来るまで数日間その眼鏡屋でコンタクトを借りてしていたことがあった。男たるもの、喧嘩が弱くても事に臨んで逃げるわけにはいかないときがある。でもチンピラに注意するのは止めましょう。

運というものはみんな人生で同じだけ持っているという説があります。最近、きっとそれは正しいかも知れないと思い始めた。運の良い人、悪い人は生まれながら違う要素が大きいと思っていたけれど・・。人を見ていると病気になる人は病気になる選択をして、病気の人は病気が治らない選択をしている。運の悪い人は運が悪くなるように選択している。運は概ね神様の代わりに人が運んでくる。神様は肉体が無いので何か代わりを使うことになる。で、運の悪い人は自分の勝手な考えや判断で人の話や提案を断ってしまう。「そんなのおかしい」とか「面倒だ」とか「気が乗らない」とかいろんなマイナスの理由を付けて。そして運が去っていく。そう、人には同じだけ運がノックしているのです。それを受け取るか受け取らないかは個人の問題で、残念ながら幸運は概ね幸運の顔をしていないので気付かない。「私はあなたの幸運です」とは言わない。幸運は言葉を持たないので何も言わずに去っていく。不運は、「私はあなたに健康と幸せを持たらします。」と言って人の不安感につけ込んで後ろ手に高額の請求書と共にを持ってやってくる。健康と幸運になるなら二百万の掛け軸、それは安いと買うことになる。時にそれは壷であったり印鑑であったり宮殿を建てるための寄付であったりする。


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