忍者ブログ

カレンダー

05 2026/06 07
S M T W T F S
6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30

リンク

カテゴリー

フリーエリア

最新CM

最新記事

最新TB

プロフィール

HN:
村長さん
性別:
非公開

バーコード

RSS

ブログ内検索

アーカイブ

最古記事

忍者アナライズ

[1812]  [1813]  [1814]  [1815]  [1816]  [1817]  [1818]  [1819]  [1820]  [1821]  [1822

明治天皇すり替え説

十数年前から明治天皇すり替え説が出ています。歴史に興味を持つ人間にとってそれは既に定説になっていますがマスコミや歴史学会ではそれに触らないでいる。それで国民の間での常識には至っていない。明治維新から概ね130年以上経って始めてそういう事実が一部の国民の前に漏れ始めた。
小沢一郎の不起訴の理由が漏れるのも少なくとも30年はかかるかも?99.9%以上の、いや100%の国民が、「そんなのどっちでもいいじゃん。私の生活に関係ないもん」という状態になって事実が漏れ始めるということですね。
ベトナム戦争においてアメリカが北爆を開始した理由として北ベトナム軍がアメリカの艦船を攻撃したというトンキン湾事件があります。しかしこれはアメリカによる自作自演のでっち上げだったことが今では分かっています。でも今は誰もそんなことを問題にしない。99.9%の人間が、「トンキン湾事件て、それ何?」ですよね。問題にしない時代になったから事実が出てきたということですね。事実が分かっても100%何も変わらない、誰も責任を追及されないということです。歴史を糾弾しようとする人間もいない。
PR

沖縄駐留米軍

沖縄に多くのアメリカ軍が駐留しています。沖縄県民の長年の犠牲も大きい。沖縄に負担がかかりすぎている。云々いろいろ意見や感情があるのは分かります。米軍が駐留することで多くの雇用が成り立っていてその給料も平均の1.5倍という現実とその恩恵にあずかれない人間の不満として米軍駐留反対と言っているケースもあります。そしてチベットと同じ理屈で沖縄は中国の領土と中国は言い始めています。
国防というのは難しい。民主主義では国防は難しい部分もあるし、アメリカの戦略は民主主義だからマスコミを使って国民を洗脳して戦争をするという方法を常に取ります。「国民は愚民なのでマスコミで簡単に洗脳できる。事実が分かったときはすべて終わった後」という流れですね。賢明な政治家によって国家を運営して貰いたくないというのがアメリカの本音。だから民主主義を建前として押しつける。
1億数千万の国民を守る国防という観点から見るとアメリカ軍とその家族がたくさん日本にいるということは逆から見ると彼らは日本を守って貰うための人質なのです。日本からアメリカ軍やその多くの家族が日本を離れればアメリカ人の誰も日本を守る気持ちは持たない。アメリカ軍がいるから日本が攻撃目標になるという論理を社民党なんかは言うけれどまったく逆ですよね。それは社民党は北朝鮮に洗脳されているのです。日本や沖縄を我が物にするには、まず日本からアメリカ軍が出て行って貰わないと困る、それが中国や北朝鮮の本音です。地政学という現実は厳しく残酷なのです。そこには人間倫理や人道主義は存在しない。2千年3千年にわたって相手国から奪うことだけを考えてきた民族や国家というものの本質は簡単には変わらない。現代はその表現がオブラートに包まれているだけ。アメリカ軍のいなくなった日本なんて赤子の手をひねるようなもの。自分で守る気概も能力もない平和脳天気なのだから。かつて歴史において平和脳天気な民族や国家はすべて滅びてきた。なおかつ自主独立を目指した戦前の日本、戦後の田中角栄も滅びた。自主独立でも日本国家は成り立たない。その中で中国の賄賂工作やアメリカの脅迫は普通の日本人の理解範囲を超えている。日本の多くの政治家もどちらかに取り込まれている。日本国民は国際政治の裏を知らされていないし、マスコミが伝えないことは存在しないと思っている。「そんなこと、あるわけないじゃん。あればマスコミが黙っていないわよ」とね。視聴率と利益と保身第一のマスコミが何を伝えていないかを見るのが大事なんですよね。大事な情報は事実だけを書いたたった一行の記事に多い。マスコミがその重要性に気がつかないが故に、そういうところに大事な情報が漏れ出てくる。

生活習慣思考

天風会員というのは本当にまじめな会員が多くて、多くの人がいろんな行修を毎日自宅で行っているのにビックリした。偉そうに言う私が恥ずかしくなる。それにもかかわらず多くの人に成長が少ないのはなぜだろう?そう、形は実行しても「生活習慣思考」を変えられないからですね。今までの思考習慣の上に自分で納得できるのだけを加えて、それ以外は聞いても耳に入らないか意味が分からないで済ますから本質が何も変わらない。観念要素の更改も本質が分かっていない人が多い。
確かに何事も最初は形から入るのは重要なことです、特に日本の文化はまず形からですね。問題はそれからですね。それからに自分の思考を順応させて変化させていけるかどうかです。何十年毎日座っていても思考が何も変わらない人もいる。何でも自分で気付いて自分一人で自ら変わるというのは難しい。今まで何十年、ものごとを好き嫌いで判断してきた人に「好き嫌いで判断するな」と言っても意味が分からない。心の中でいつも「私の好き嫌いは正しい」と思っているから。それも生活習慣思考の中のひとつですね。
30歳、40歳、50歳過ぎれば叱ってくれる人がいなくなる。叱ってくれる人がいないと自分の間違いが分からないし、出来ていないことが分からない。やはり常に生きた正師というのは必要なんですね。耳に厳しいことを素直に聞くというのがまず大事ですが、いろんなことをいろんなところで学んでいながらもそれが出来る人は少ない。いつも心の中で反発して聞く人が多い。「出来た人の話なら素直に聞くわよ!素直に聞ける出来た人がいないのよ!」な~んて言っているようじゃダメですね。小学生の話だろうが誰の話をもまずは先入観や勝手な価値判断無しに「素直に聞く、素直に受け入れる」という心の態度が大事ですが・・・・なーんてことを私が書いているということがチャンチャラおかしい。一番素直でなく、一番素直に受け入れるということが出来ない子供だったのだから・・・。昔のクラスメイトがこれを読んだら笑ってしまうだろうな。「おなえ、何言ってんだ。おまえが一番出来ていなかっただろうに。」とね。

平和

b72d04e7.jpeg010bf983.jpeg今夕も富士山の写真を荒川土手に撮りに行った。私がカメラを構えていたら近くにいた同じくカメラを撮っている人が私の側に移ってきた。たわいもないカメラ談義をしながら富士山の夕景を一緒に撮った。なんか自分自身の魂が不思議な気がした。とても穏やかで平和な日だ。ただの市井の人としてたわいもない談義をするということは少なくともここ二千年無かったように思う(自分で勝手に思うだけ)。気がついたら別の人もすぐ近くでカメラを構えている。いつの間にか私が選んだ写真ポイントに人が集まってきている。
(左の写真は朝8時に武蔵浦和駅から、右は荒川の土手から夕方に撮ったもの。)
土手を自転車で走りながらマンションや住宅街を見て、「日本は本当に幸せな国だ。その幸せに気付かないで、つまらないことであ~だこ~だと人を批判したり悩んだりしている。そして私も自転車でのんびりカメラをバッグに入れて走っている。何という穏やかな日々なんだろう」と。そして今、私もまた自炊で美味しく平和な夕食にありついている。この平和はいつまで続くのだろう?今は魂の一瞬の休息時間なのかも知れない。その中で人が、あ~だ、こ~だと言うのは私には昔から単なる景色にしか過ぎない。本当は、あ~だ、こ~だと言う暇なんて人生には無いんだけど・・・人がそういうことに時間と心を使うのは平和な証拠ではあるが・・・。日曜は護国寺を見ても、夕方荒川の土手で富士山を見ても平和は本当に良いものだとつくづく思う。
世の中で一番大切なのは平和、二番目が健康保険かもねぇ~。ほとんどの日本人は二つとも持っているもんなぁ~。ほとんどの人はそれがあまりにも当たり前だと考えていることがまた素晴らしい国だということですね。しかしそれは運良く潰れないできた砂上の平和かも知れない。

貢献

私はハイテクの光を仕事としているが日本の光技術の進歩に少しは貢献してきたし、今もしていると思っている。しかし技術の進歩には貢献しても世界平和とか人類の幸せに貢献したとは思わない。何か人類へのささやかな貢献を私の技術で出来ないだろうかといつも考えている。もちろんそのためには発想の転換が必要だ。今の頭の使い方や今の技術の延長線上にはそれは無い。光技術において宮崎駿のアニメのような発想の新規性と柔軟さを生み出したいと思うけれど私の頭は知らず知らずのうちに固くなっている。従来の思考方法による知恵と工夫の継続はしているが、仕事はそれで良いかも知れないが私の満足はそこには無い。私の頭を一度木っ端微塵にしなくては発想の転換は生まれない。
歴史解釈も21世紀になって大きく変わり始めている。まずチンギスハーンの歴史解釈は大きく変わった(まだそれは学校や大衆の理解までにはいっていないが)。坂本龍馬を含めて明治維新に対する分析も新しい波が生まれ始めている。ある意味で司馬遼太郎は明治維新前後から日露戦争までの歴史を日本国民に司馬遼太郎史観で固定してしまったのかも知れない。それは彼が得られた当時の資料からは仕方のないものだったのだけれど。司馬遼太郎史観も素晴らしいし面白いけれど、平行して別の史観も学ぶべき時が来ていると思う。
先日、喫茶店で英語の勉強をしていたら傍のテーブルに座っていた老紳士二人の会話が聞こえてきた。二人は台湾系の人か韓国系の人かは分からなかったが、日本人として自然な日本語と共に台湾語か韓国語をチャンポンに話していた。日本をとても肯定しているような話しの内容ではあったが最後に「最近のNHKの大河ドラマを初めとして歴史ドラマが増えているけれど、内容は日本が当時の世界状況の中の犠牲者というスタンスを取っている。NHKがどのように歴史を捉えているかはどの役にどういう俳優を持ってきているかで分かる。伊藤博文は・・云々・・。日本の犠牲者となった国の立場での見方が無い。これから我々はそういうことを言っていかないといけない。・・云々・・」と言っていた。「なるほどなぁ~。正しいとか間違いでなくそういう見方もあるんだな~」と思った。日韓併合をしないで朝鮮半島がロシアの領域になっていたら朝鮮半島の人々はどうなっていたかという視点も考えないといけないと私は思うのだけれど、彼らもまた日本の犠牲者になった悲劇の視点だけで見ている気もしないわけではないが・・・・。ただその時その人たちの話をたまたま隣にいて聞けてとても良かったとそのチャンスに私は感謝している。
私が言いたいのは、私の仕事のみならず歴史も世界観も宇宙観も複数の視点で見ないといけないということですね。ただ科学について言えば、新しい科学理論が世間の常識になるのには少なくとも二百年かかる。歴史解釈も同じで二百年かかるのかも知れない。人間も一つのことを学び取るのに三回の輪廻を繰り返し二百年かかる。何でも本当のことを知るのに二百年かかるのかも知れない。私はNHKの大河ドラマは見ていないけれどそれは司馬遼太郎史観のリピートだとしても、興味ある人はそこからそうではない新しい歴史研究による歴史解釈本も読むきっかけになるのだろう。私はそれが新しい時代の種になると期待している。


忍者ブログ [PR]

graphics by アンの小箱 * designed by Anne