忍者ブログ

カレンダー

06 2026/07 08
S M T W T F S
4
8
12 17
23 24 25
26 27 28 29 30 31

リンク

カテゴリー

フリーエリア

最新CM

最新記事

最新TB

プロフィール

HN:
村長さん
性別:
非公開

バーコード

RSS

ブログ内検索

アーカイブ

最古記事

忍者アナライズ

[1808]  [1809]  [1810]  [1811]  [1812]  [1813]  [1814]  [1815]  [1816]  [1817]  [1818

埼玉呆け

昨日、練馬区光が丘公園で毎年している「ハヤリンバヤル」(モンゴル留学生によるモンゴルの春祭り)に今年も行ってきた。地図を見て下赤塚から行くと近そうだと東武東上線・下赤塚駅から歩いたが30分ぐらいのかなりの距離があった、トホホホ1。帰りはバスにしようと思って、あっちに歩き反対方向に歩きしたがバス停が見つからない、トホホホ2。そう言えば来るとき途中バス停はあったけれどバスが走っているのを見なかったので1時間に1本程度なのかも知れないと考えて、例年のごとく地下鉄に乗った。そのまま池袋経由だと100%疑わなかった。で、あれれれ、なんで中野坂上になるんだ?と考えたら光が丘から新宿に行く路線だったことに気付いた。トホホホ3。結局、新宿から埼京線に乗って帰ってきた。は~、埼玉に住んで東京の地下鉄の感覚がずれてきた。
PR

プロとアマの違い

プロとアマの違って、何だろう?と最近考えていた。はるか何十年も昔にも同じ事を考えたような気がするけど、その時に出した答えは思い出せない。プロとアマの間にどうしてそんなに差が出るのだろう?一般的にはプロはそれでお金を稼いでいて、アマは別にお金を得る手段を持っているということではあるのだけれど、アマだって一生懸命やっている場合もあるのにその明らかな差はなぜ出るのだろう?同じ人間なのに。う~ん、結構難しい問題なんですよね、これ。で、今朝、気付いた。
プロはそれに命をかけているからということですね。アマとは、自分の命の方がそれより大切だということですね。やっぱり、命をかけている人間には勝てない。命をかけなければ天も味方しない。前にも書いたことがあるけど、人間の価値は、その人が何に命をかけているのか、何のために死ねるのか、なんですよね。自分のために命をかけるというのもあるかも知れないけど、自分が自分のために死ぬ、それは自己矛盾のような気がする。
5月推薦の本、「ブライズ先生、ありがとう」の中に、『イエスの「求めよ、さらば与えられん。叩けよ、さらば開かれん」とはいかなる意味か。この言葉を理解するのに、ブライズ先生は、「叩け」とは、にぎりこぶしでドアをノックするようなものでない。コンクリートの壁に頭ごとぶつかってゆくことなのだ。それでなければ真理の扉は開かない、と解釈していた。』とあります。この真理とは、俳句でも、朗読でも、大工のかんな技でも、あらゆるところにあるものなんですね。何事もおろそかに出来ないということですね。「俳句ですか、それはそれは高尚な趣味ですね」 (そんなこと毎日考えて生きていけるのだから、金持ちの道楽は羨ましいと内心で思いながら)、というぐらいにしか私は考えていなかった。趣味の俳句作りとプロの世界とはまったく違う世界なんですね。
 

日本語と礼儀

モンゴルで日本語を子供達に教えている人のブログを読むと、「子供達には一般のモンゴル人には見られない礼儀正しさがあります。日本語を学んでいるといつの間にか日本の文化も伝わるのでしょうか?」と書いています。そう言えば日本にいる日本語がきちんと話せる外国人もそんな傾向があるような気がしますね。日本語を身につけると礼儀正しくなる?日本語を話す日本人はどうなんでしょうか?この美女木のマンションに引っ越しをして私が変わったことがあります。マンションに住んでいる人たちに、また子供達にこちらから、「おはようございます」とか「おはよう」とか「こんにちわ」と声をかけます。大人は当たり前ですが、子供はこちらから挨拶すると、ちょっとだけうれしそうな顔をしますね。ムスッとして歩いている子供も顔が変わります。
私もおじいさんの立場になってきたのかな?トホホホホ。
 

5月の推薦

5月の推薦図書としての「ブライズ先生、ありがとう」というのを今読んでいるが、恐ろしい言葉がいっぱいある。世の中には凄い人がいるものだ。凄いとらえ方があるものだ。ほんと、毎日いい加減に生きている私としては恥ずかしい限りだ。ほんと、全面降伏だな。

鈴木大拙

天風先生述のどこかの本の中で、鈴木大拙との話しが載っています。で、そこには鈴木大拙が禅の理屈を立派に述べているが身体では分かっていないみたいなことが書かれています。今日、買った本の中に、たまたま鈴木大拙の写真が載っていました。「えー!何だ!鈴木大拙はクンバハカをやってんじゃん!」と見たわけです。考えてみると誰々はクンバハカが出来ていないとみんなの前では出来ていない人間のことを言えないわな。今は出来ているから、「あいつは最初は分かっていなかった」と言えるのです。出来ていない人間のことをみんなの前で出来ていないなんて私だって言えない。そう、天風先生が鈴木大拙のことをみんなの前で言ったということはその時点では彼は出来ていたのです。やはり、鈴木大拙は偉いですね。教わったら出来るように努力していたのです。偉い人は偉いのですね。本の半読みをした人間は、「鈴木大拙は禅の理屈だけでその本質を身体では分かっていなかった」とずーっと解釈してしまうのです。今日その写真を見るまで私はそう思っていました。


忍者ブログ [PR]

graphics by アンの小箱 * designed by Anne