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仕事

実は仕事が昨年暮れからいっぱい入ってきて、「助けてくれ~!」と叫びたいくらいだが誰にも助けを求められない。1年以上前に種を蒔いていたのが少し実ってきたという感じですかね。今技術開発しているのは、きっと1年先、来年の仕事になるな。
何でも種を常々継続的に蒔いていないと。仕事の種、幸せの種、幸運の種。そして自分の考え(特に好悪)を主張するのは自ら種を捨てることになるんですけどね。
ここ埼玉の田舎では一人はますます不便だがどうしようもない。誰にも文句の言いようがない。パートナーがいればとは思うが足を引っ張られて逆効果になる確率の方が高いな。良きパートナーを得る種は蒔いてこなかったからもう遅い。
それにしても今日は京大とキャノンと住友から注文が入った。東大の仕事はできだけ触らないように逃げているがそろそろ逃げられなくなってきた。高校の理科向けの注文も結構入っている。そろそろ作らないといけない。注文は一つ一つ入ってくれば良いのだが重なってしまう。トイレに入っているときに限って電話がかかってくるようなもんだな。で、トイレに電話を持ち込むと電話がかかって来ない。
段取りが悪い人間に段取り悪く注文が入ってくる。料理をしていても私は本当に段取りが悪いと思う。そして気がついたのは約1年半の不景気の中で注文をこなすリズムが消えのんびりしていたらバリバリ仕事をするリズムに戻らない。歳を取るということはそういうことなんですね。身体が動かない。本来マイペースの性格なのにその上に「まなけもの」のリズムが身についてしまった。50歳を過ぎれば自分からは「もっと、もっと」という思考や欲望からは離れないといけない。いわゆる林住期というリズムに遺伝子が入り始めているのかな?みなさん、心の欲望に従って無理をしてはいけません。身体のリズム、遺伝子のリズムに生活を合わせないといけない歳なのです。50歳過ぎたら心の欲望や願望ではなく身体の声に従いましょう。身体の声を聞くようにしましょう。現代は自分の中の遺伝子の声を無視して生活している人が多すぎる。私もまもなく50歳。「はあ~??」
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アク

今日立ち寄った朝霞台の駅前に初老の坊主が立ってチーン、チーンと手に持っている鐘を鳴らしていた。その音を聴きながら、「この坊主、修行のアクが取れていないな。もう今生では無理かな?」と感じた。「お坊さん、まだアクが取れていませんね」と話しかけたかったがもちろん止めた。もちろん私もアクがある。そんなこと人に言うほど人間が出来ていない。まあ、アクが取れた時、人間のとりあえずの完成かな?まずは自分で自分のアクが見えるようになれば一人前だな、きっと。ほとんどの人は自分のアクというのは見えていないもんな。ほうれん草もアク抜きをして食べられる。ほうれん草はきっと元はただの雑草だったかも知れない。まあ人間、悟る必要なんて無いと私は思うけれどアクは抜けないとなぁ~。それが素直ということだね。まあ、電車で空いた席に座るときも周りに自分より座るべき弱者がいないかどうか確認して座るということをいつも自然にすることだな。空いた席に突進するのはアクの極みだな。一事が万事、自分よりまず人を優先することだな、それも無心に。そうしていることを自分で意識しているとそれもまたアクだから。アクが抜けるとはそういうことだな。

人生

人生、50代半ばも過ぎると今の状態もこれから起きることも今までの生き方の結果だからどうしようもない。今、何となく、多くの人の人生に答えが出始めているかもね?今まで「あれは嫌だ」、「これは嫌いだ」と選択してきた人に安定した豊かな老後と幸運はあるはずがない。人生も仕事も突然どうなるかは分からないけれど概ねそういうことじゃないかな?仕事や客先を好き嫌いで選んできた人はこれから先厳しい運命のような気がする。もうどうしようも無い。これからでは遅過ぎる。これからは過去に蒔いた種が実るだけ。「そんな種は蒔いた覚えは無い」と人は言うけれど蒔いている自覚が無いだけ。自覚が無いという種も蒔いている。
小さな事で一例を上げれば、例えば今まで電車などでお年寄りなどにたくさん席を譲ってきた人とそうでない人に運命の差が出てくるのではないでしょうか?歳を取って人から席を譲ってくれる人はかつて譲ってきた人ではないでしょうか?そんな気がします。「最近の若者は座席に座ったままで年寄りに譲ろうとしない。今の若者はなっとらん!」と文句を言う人はきっと自分が若いとき席を譲ってこなかった人のような気がします。席を譲ってきた人は席を譲ってくれる人の前に自然と神様に導かれる。
すべては偶然ではない。過去に自分がしたことが自分に返ってくるだけですね。
50歳過ぎれば国のせいでも社会のせいでも無いのです。すべて自分のせいなのです。どこにも文句の持って行くところは無いのです。”今”は過去の無数の自分の選択の結果なのです。
実りの秋に春に種を蒔かなかったことを悔やんでも仕方がない。「なぜ春に種を蒔かなかったの?」と質問すると、「種を蒔いてもほとんどカラスに食われるもん。蒔くだけ損だもん」と答えが返ってくる。それで自分の畑(自分の人生)に実りが無いことを嘆いてもねぇ~。人生に春夏秋冬は一度しかない。人生に種を蒔く春は二度やって来ない。まあ救いとすれば暖かい地域なら秋に種を蒔く冬野菜というのはあるな。それは寒い地方では出来ない。禅問答みたいだね。

執念

ほんと、仕事に関しては私は執念深い。一昨年から昨年にかけて作り上げた技術は20年以上取り組んでいる執念から生まれた。そして10年以上取り組んでいる技術にやっと目途が出来た。他社の技術の10倍の精度を作り出すということ、他社が出来ない技術を作り出すということ、自分の納得のいくレベルに達すると言うことはそういうことなんですね。まあ、どちらかというとハイテク職人として自分が納得出来るまで技術を磨き続けるというのが一番大きいな。まあ、そんなやりかたをしていると儲からないかも?時間をお金で計算しないのだから。ハイテク宮大工みたいなものだな。

偶然

どうも最近、世の中おかしい。偶然が多発している。あちこちで「偶然こうこうしかじか」というのを聞くことが多い。昨年の暮れに地球の波動が更に変わったのかも?東京に住んでいる人間と大阪に住んでいる人間が田舎への土産に偶然名古屋の同じ店のお菓子を買っていたり、英語サークルに新しいメンバーが来たら従来のメンバーのアパートのすぐ真下の部屋の住民だったり・・・、「はあ~?どうなってんの?」という感じですね。今日も英語サークルに見学者がやって来た。愛媛出身で岡山の大学を出て、小豆島にしばしば遊びに行っていたという。ちなみに昨年暮れに来た見学者の親戚が小豆島の人間でその親戚は今小豆島で一番伸びている会社のオーナーだという。これらは”偶然”のほんの一例です。
偶然には深い意味があるので大切にしないといけないのですが、偶然を偶然で終わらせてしまう人が多い。私もそうでした。どれほど偶然を無駄にしてきたことか。
偶然は本当は偶然ではないのだから偶然を無駄にしてはいけないということに気付くのが遅すぎたかも?私がよく言うように、「人間にとって偶然は神から見て必然」なんだから。


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