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運命

人の運命ということについて、ずーっと何十年、もう45年以上考えているけれど、「これが運命だっ!」というものはまだ分からんね。人生は選択できるのか、それとも生まれながらすべて決まっているのか?おそらく選択は出来るけれど右を選んでも左を選んでもカルマから起きる現象からは逃げることは出来ないのだろう。
また今、幸運の右の道を選んでも次の人生で左の道を選ばなくてはならないのかも知れない。選ぶのは単なる順序の入れ違いだけかも?積み重ねてきたカルマに従っていずれすべてを経験しなくてはならない。幸運が幸運とは限らないし、不幸が不幸とは限らない。大事なことは真理を認識すること、本当の自分を知ることだな。
私の人生を振り返ってみるときっと異なった選択によって異なった人生があったのかも知れないと思う。しかしいずれいつかこの人生を送らなくてはならなかったとも思う。過去生の整理のためにいずれモンゴルやウズベキスタンに行かなくてはならなかった。結婚していたらそんなところ何回もきっと行けなかったもんね。だから今回、この人生を選んで良かったのだと思う。
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言葉

幼児や子供はどうやって言葉を覚えるのだろう?最近、子供や幼児を観察していて、「あれ?本当に言葉を親から教わって言葉を覚えていくのだろうか?」と疑問を覚え始めている。日本語のあいまいな表現とあいまいな心をどうやって連動していくのだろう?ひょっとしたら覚えるのではなく少しずつ言葉を思い出していくのではないだろうか?例えば人間の指は胎児の段階で指が発生するのではなく指の間の細胞が無くなって指が生まれるという。言葉も膨大な記憶量の中から不必要なものが無くなって少しずつ思い出して日本語が少しずつ話せるようになるのではないだろうか?と考え始めている。どこに言葉を覚えているのか?それはオーラの中ですね。オーラの中に過去生からのすべての情報が詰まっている。オーラの中の言語情報を少しずつ脳の中に移していくのではないだろうか?

モンゴルの子供

モンゴルの子供はどうしてみんなあんなに素直でかわいいのだろうと思う。大人になるとそれがまったく変わるのが不思議だ。まあ、欧米やロシアの若くてスマートな女性が中年になって凄く太るのと同じかな?

モンゴル大学で経営学を教えている60歳を超えた日本人が縁あって小学校の日本語クラスを受け持つことになったとブログに書いていた。そして授業初日の終わりにこんな話しがあったと載っていた。

『あっと言う間に授業を終えて「先生さようなら」の挨拶を済ますと、一斉に「先生、宿題は?」の声が。

私が「宿題、出さなくてはダメなの?」と言うと皆「はい、出して下さい」とこれまたすごく熱心に要求します。

私は「じゃあ、春夏秋冬の文字を使った文章をそれぞれ一つずつ、全部で4つ書いてきて下さい」というと「はーい!」と嬉しそうな声。全く、私の方が癒されてしまうような生徒たちでした。

毎週1回、こういう形で元気をもらうのもいいような気がしてきました。』

最近、何か変?

最近、何か変なんですよね~?まあ昔から変な体験を時々しているのだけれど・・・。一ヶ月ほど前に10年前ぐらいに亡くなったはずの人を見た。「え~?!」とじっーと見た。どう見ても亡くなったある人の奥さんだ。「え~?双子だったのかな?いや~、そんな話しは聞いていない。それにしても足があるし他の人とまったく同じに見えるし、おっかしいなぁ~?」と今もそれが何なのか分からないでいる。
そのことはそのご主人(私の知り合い)には話していない。で、そのご主人は最近霊的エネルギーを感じ始めているらしい。板橋のお地蔵さんの前に立ってもかつては何も感じていなかったけれど最近前に立つとビリビリ感じるという。
小学生の時に一度、中学生の時に一度、私は普通に走ったのだけれど、私がまるで瞬間移動したかのように思われたことがある。それはみんなの時間感覚的誤解だと思っていたのだけれど・・・・最近もそんな誤解をされることがあった。人生で三度も同じことがあると、それは何なのだろう?と考えてしまう。ここに書けないけれど他にも最近いろいろある。何か、変なんだよねぇ~?

場の気

どこか知らない場所を歩いていて、「ここ、気がなんとなく良いな」と感じて歩いていると近くに神社が見つかることがままある。武蔵浦和駅を降りて歩いていると何となく「気、悪くないな」と感じていた。地図を見ていて気付いた。近くに三峯神社があった。それにしてもどうしてここに三峯神社の分院があるのだろう?祠程度の小さな神社かも知れないがその地域の場に影響を与えているようだ。地図によると私がこれから住むマンションの近くにも山王神社というものがあるらしい。両方ともご挨拶にお参りしなくっちゃ。



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