以前にも書いたが、過去生と今の繋がりを見たことで、私は中学二年の秋からマイナスのカルマを作ることを恐れてきた。
昨日、電車に乗っている時に、杖をついたガタイのいい男が乗って来た。すぐその後に老いた女性も乗ってきた。でも誰も二人に席を譲らない。
席を譲ろうとしない若い人、中年の人に対して世間は、「今の若い人は~?」と批判するだろう。私はそういう時いつも席を譲って貰えない老人の顔を観察する。「この人は若い時に老人に席を譲るという親切をしてこなかった人なんだろうな?」と。若い時に自分がしたことが老人になった時に自分に返ってくる。
杖をついたガタイのいい男の人は、今時二重マスクをしていたが、今、そうなるカルマの蓄積の結果が表れているのだろう。いい顔はしていなかった。自分の作ったマイナスのカルマが今生で表れて結果を受け取るのはまだ救いがある。来世に持ち越しの人は多いだろう。そして来世で、「私は何も悪いことしていないのに~?どうして私だけが~?」と叫ぶことになる。
人に優しくしてきた人が老人になると、その気が動いて前に座っている人が感じて無意識に席を譲ろうとすることになる。今、席を譲らない人は、歳をとってその席を譲らない行為のしっぺ返しを受け取ることになる。優しい人は優しい人の前に立つ見えない空気があると思うな。そういう気は順繰りに巡っている。無意識に人に親切が出来るようになると、それが霊性の発現ですね。意識してするのは道徳ですね。無数の見えない縁が一秒の狂いもなく動いている。この歳になってやっと見えるようになって来た。理屈は以前から言って来たけど。
天風先生は、原子と電子の結びつきも縁だと言っている。それが分からなかった。縁もエネルギーの一形態で、エネルギー保存の法則が成り立っている。
こんなことを言っているのは世界で私だけ?
PR