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意識と認識

先日曜、武蔵浦和から新木場行き快速(と信じていた)に乗った。快速が止まる戸田公園で停車してドアが開いた。「戸田公園だな。」と当然思った。
次に停まったのが北赤羽だった。??「何で快速が北赤羽に停まるの?」とドア上の文字案内板を見たらlocalとあった。??local??ということは、北戸田、戸田、浮間舟渡にも停車したはず。まったく記憶にない。それも開くドアの傍に立っていたのに。快速に乗ったと何の疑いも無く信念していたから、途中停まったことが見えていなかったということですね。信念(盲信)とは怖いね。信念していること以外は見ていても見えていないということですね。ずーっと考え事をしていたせいでもあるけれど、それにしても?ということですね。
見えているはずなのに、見ていない見えていないことって多いよね。人間関係、家族関係は特にそうですね。人は一つの見方に固着してしまって、他の面が見えなくなる。イデオロギーもそうですね。それを信じたら他が見えなくなってしまう。「憲法九条を守るためには人を殺しても良い!」、「平和憲法を守る為には国が他国に占領されても構わない!」なんて信念してしまう。他国に占領されたら日本国憲法なんて無くなっちゃうのにね。そして国民の半数は虐殺される。
インドネシアかカリブ海の島か説はいくつかあるけど、白人が現地人に尋ねた、「帆船が湾内にいたはずだけど、いつ出て行った?」と。現地人は、「そんなものは、ずうっといなかった。」と答えた。現地人にとって帆船という知識がまったく無かったから、帆船を見ても見えなかった。知識や概念の無いものは目で見ても脳が認識できないので見えないという話は有名な話ですね。
私もそれと同じ体験をしたということです。みんな見ているつもりだけど意識の無いものは脳が認識出来ない。それは見えないことになる。確かに見えているものは知っているものだけだよね。

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