「田舎に帰る。」という言葉は使うけど、「埼玉に帰る。」という言葉はまだ使わない。東京・埼玉は私にとって家ではない。家族がいないと家ではないな。
今でも田舎の家を出る時は、「それじゃ、(埼玉に)行ってくるから。」だな。
今朝7時半のフェリーはガラガラだった。
小学生が荷物棚を利用して勉強していた。あんな場所でもよく出来るな~?と感心した。私が小学生の時にあんなに勉強していたら今頃どうなっていたのだろう?と思うな。校門を一歩出たら、学校のことはパッと全部忘れて、「今日は帰って何をして遊ぼうか?」としか考えなかったな。そして次の日の朝、学校で、「えっ!そんな宿題あったの?」と驚き、友達の答えを慌てて写すのが日課だったな。
新幹線も新神戸のホームに上がったら、ちょうど「ひかり」がやってきた。席は満杯だけども大阪で降りる人もままいるので大阪から座れそうと思ったら座れた。大阪から外人が多く乗ってきた。英語圏のアジア人シンガポールか?香港か?とスペイン語?かポルトガル語?の人達と少しの白人だな。京都からも外人が乗ってきて通路いっぱい立っていた。
昨年暮れギリギリに高校のOB名簿が届いた。物故者蘭を見ると、男はそれなりだが、女は、「どうしてこんな良い子が?」というのが多い。それぞれのクラスでマドンナと呼ばれるような子が亡くなっている。美人で頭が良くて家が金持ちでというような。せっかく美人で頭が良く生まれてきて勿体ないというか?人間の運命とは不思議なものだな。男は頭が良いのが亡くなっている率が大きいな。
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