大雑把に言えば、天風会に入って10年目で人の気を動かせるようになった。
20年目で遠隔透視出来るようになった。でも楽しいものを見ることはなかった。
最初の頃は面白くてついつい試したが、それぞれ4~5ケ月ぐらいで止めた。
気が付いたら、そんな能力は無くなっていた、というのが今の私の希望だな。
でも、自分でもそういうことが出来るということを一度知ることは大事だ。
出来ないで出来ないままなのと、出来たうえで捨てるのと違うな。一度出来ると、出来る人を見ても、「凄いな~!」と羨ましく思わなくなる。人の価値は能力ではないと素直に思えるようになる。私もかつていろんなセミナーに出て超能力者を見て、「凄いな~!俺も出来たらな~」と思っていた。
人は自分で出来ること、自分自身で自分が変わることが大事なんだな。
病でも人からポイッ!と気で治されても考え方や生活習慣を変えなければ元の木阿弥になってしまうし、その人の人間としての成長にならない。
自分が自分で変わること、それを教えられないといけないんだよね。能力を身に付けることではない。そういう意味でも天風教義は大したものだと思うけど、今の時代のニーズには複雑過ぎる?
ちなみに天風先生も人寄せパンダ的な突飛な能力はだんだん見せなくなっていったらしい。お釈迦さんも、いろんな能力があったはずだと思うけど、能力については何も言っていないし、記録も残っていない?高野山で修行すると、いろんな能力が身に付くらしいけど、徹底的にそれを意識から捨てることを叩き込まれるとのこと。人間(一人前の僧侶)を作るのに超能力は足枷になるからだと。
PR