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ジョブズ氏と禅

参考です。この情報を教えて貰いました。
http://www.cnn.co.jp/fringe/30004202.html

ゼロックスのコピー機の発明者であるチェスター・カールソンも禅堂に長年通っていたのでしたね。
禅は秀才をより秀才に、天才をより天才に、そして凡人はそのまま凡人に、かも~?













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運命

昨日の日曜行修会で、運命は決まっているか?それとも変えられるものか?分からないか?という三択で小学生レベルの質問があった。内心、「そんな小学生みたいな質問するな」と思ったが、後で質問者に廊下で私は言った。
「運命は決まっていて、なおかつ自由なものです」と。
「運命は決まっていて、なおかつ自由」という意味はおそらく分かんないだろうな~?
宇宙の基本法則の一つが因果律なのだから、その因果から離れられないという解釈からは運命は決まっていると言える。その運命にどう立ち向かうかという自由はある。
易しく言えば、スポーツと同じですね。スポーツにはルールがある。ルールという不自由さの中にどのように対処するかという自由があるわけですね。その自由度を増すために努力と訓練があるわけです。ルールが因果の法則と考えれば良いのです。
ルール(カルマから生じてくる運命)は変えられない。スマナサーナ師は言っていた。「運命の問題は、お釈迦様でも難しいと言っていたのだから、お釈迦様でも難しいものを凡人は考える必要はない。どうしても知りたければ本当に出来た坊主(悟った僧侶)に聞きに行け。それ以外は無駄」と。そういうことですね。
「人間が苦しいと思うことは神様から与えられた慈悲」とかつて亡くなった友人からの霊界通信で私は教わったわけですけど、同じことを慈悲と捉えるか、試練と捉えるか、苦しみ・不運と捉えるかは個人の選択ですね。
「どうして私はこんなつらいことばかり起きるのだろう?私は運命を呪う。」と思う人も多いけれど、同じことに、「山より大きいイノシシは出ない」と立ち向かう人もいる。それは自由ですね。その違いは未来を変える。そうすると運命は変えられるということになる。でもな~?そういうものの捉え方も過去からの因縁かも知れないし、正解は分からないと言うことですね。
ただ無念無想の状態を自由に得ることが出来るとカルマから離れることが出来る。すなわち決まった運命から自由になる。まあ、そのための坐禅であったり、瞑想であったりするわけだけど、そこまでたどり着く人はまれではあるな。もちろん私はたどり着いていない。
もう少し難しい説明をすると、30cmの物差ししか持っていない人は1kmという概念が存在しない。だからそういう人は30cmがたくさんとしか理解できない。
もっと難しい説明をすると、運命はニュートン力学的な決定論的二者択一ではなく、量子力学的なもので、「存在はしても人間の理解からは不確定なもの」と言えるかも知れない。

天風先生はこう言っている、禅宗ではこう説いているという知識では分かったことにならない。三択のうちどれを信じるかは自由だけど、小学生レベルの選択と大学生レベルの選択では選択は同じでも意味が違う。
根拠無き信念は、根拠無き楽観主義となり敗北に繋がる。それは根拠ある悲観主義より根拠無き楽観主義の方がまだ良いのは事実だけど。根拠無き楽観主義では、偶然うまくいくというフロックが存在するから。





祭り

秋の祭りで御神輿を担いだ後は当然飲み会になる。小学校、中学校のミニ同窓会の形になるが全員男ばっかりだ。祭りに参加しない女の子(今はおばあちゃん?)も呼べと言いたいが、まあ、幹事もあれもこれも気を使わないといけないし、そういうことが得意な奴でもないし、そういうことは頼めないな。
分校の同窓会にもなるかも?分校といっても同級生は3人しかいない。小さい時は学校でも遊びでもいつも3人だった。3人が約20年ぶりに顔を合わせることになるな。
いろいろ座布団太鼓の由来を考えているのだけれど、どうも北前船の安全を祈願した祭りなんだろうと推測し始めた。日本海の荒波から無事に帰って来れたこと、次も無事帰って来れるように神様への奉納だったんだろうな。

世界と軍事

「田中界」のインターネット情報に次のような文章があった。
 『9月27日、フィリピンのアキノ大統領が日本を訪問し、野田首相ら日本側に対し、日本が南シナ海の南沙群島をめぐる領海紛争を仲裁する介入をしてほしいと頼んだ。日本政府は、公海上の自由航行の維持を重視して、アキノの要請を受け入れ、日比間を「戦略パートナー」の関係に格上げし、日比間で海上の合同軍事演習を高頻度で行うことなどで合意した。
 南沙群島問題は、中国と、フィリピン、ベトナムなど東南アジア諸国が領有権を主張する多国間の領海紛争だ。フィリピンやベトナムは、2国間で交渉すると中国が優勢になることから、ASEAN+3など多国間で協議することを目指している。だが、経済主導で東南アジアに対する影響力を拡大する中国は、自国に有利になることを目指し、この問題での多国間での協議を拒否し、すべて2国間で交渉することを主張してきた。一昨年から米国が、ベトナムやフィリピンの味方をして南沙問題に介入してきたが、中国は経済面でベトナムやフィリピンに攻勢(新たな投資案件など)をかけて対抗し、再び中国側が優勢になっている。』
フィリピンは20年ぐらい前にアメリカ軍を追い出した。国民感情としては分からないでもないが、結果、南沙諸島で中国が我が物顔で動き出した。アメリカ海軍がフィリピンに基地を維持していたら現在の状況は違っていただろう。
世界は、経済と軍事で動いている。日本人の思考と意識から軍事(地政学含む)が抜け落ちている。だから世界が見えない。沖縄からアメリカ軍がいなくなると沖縄が第二のチベットになることが分からない。その時、アメリカは日本を助けない。沖縄を助ける経済メリットが無いから。経済メリットが無ければ軍事的に助けることはない。北朝鮮に石油の埋蔵がいっぱいあれば、とっくの昔にアメリカは北朝鮮にイラク同様に侵攻している。中国が資源漁りにアフリカや中央アジアやいろんなところに汚く動いているが、それはアメリカの真似をしているだけ。アメリカの汚さは日本人には伝わってこない。政府やマスコミがそれを見ないように、伝えないようにしている。中国もアメリカも同じなのです。そこでは経済政略と軍事戦略がセットで動いている。日本は経済戦略も無い。それでは資源戦争、経済戦争に勝てるわけがない。
「毒(アメリカ)をもって毒(中国)を制す」という思考が無ければ、それはいずれ領土問題にも勝てないということです。毒が過ぎても国や民族は滅びるけれど、ハワイ民族やインカ帝国のように純粋過ぎても滅びる。米ソ冷戦が終わると共に日本の経済は力を失い始めた。これは偶然ではない。米ソ対立状態では極東の要の日本を元気にしておかないといけなかった。
米ソ冷戦の終結が日本経済を衰退させるという読みが出来なかったのが私の読みの浅さでしたね。
そういう地政学的に見ると、今の韓国の元気さも戦略的必然かも知れない。韓国経済も危うさはいろいろあるのだけれど、北朝鮮が崩壊した時に韓国経済が弱ければそれを支えることが出来ない。韓国経済の成長は北朝鮮の崩壊がタイム・テーブルに乗っているということかも?韓国企業の成長も日本の技術者が高給で雇われて日本の技術を売り渡しているところから生じてきたわけで、地政学的に見るとそれもまた必要な動きだったと言える。
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暴力団排除条例

暴力団の存在は困ったものだが、最近の暴力団締めだし条例とかは、法の下の平等から外れているような気がする。犯罪を犯した者は法に従い厳罰に処するというのは分かるが、まだ法を犯していない存在に対して、法を犯す可能性があるとか、市民への迷惑とか、市民が不快感を持つということで規制するのは憲法違反のような気がするのだが?うがった見方をすると、中国系のやくざを支援するために日本の暴力団を潰すという親中派の政治家の策略という気もしないでもない?これによって外国系のやくざがのさばらないことを祈るね。やくざからの現金(裏金)授受が一番記録に残らない。中国政府からの指示の元、アンダーグラウンド・バンクを使って在日中国系やくざから日本の政治家へ賄賂が渡るというルートが一番証拠がない、調査できないので足が付かない。




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