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クンバハカ

クンバハカ態勢になると霊体になると言われています。大震災の後のそれに対応する人の態勢や御神輿を担ぐ人の態勢が自然にクンバハカになっています。神様が人に入ると、すなわち霊体に近くなると自然クンバハカになるんですね。
「あれ~?この人、きっと普段はこんな姿勢じゃないはず」と思うのですが、いろんな写真を見ていて、「え~?この人、クンバハカの姿勢になっている」のというのを今年はたくさん見つけました。





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改革

革命は困るけど、改革はやって欲しい。私は、2030年ぐらいから日本は良くなると、ずーっと良い続けていますが、「大阪維新の会」の大阪がその始まりなのだと思いたいですね。
改革に情熱と人生をかける人が、まあ、ある意味、羨ましい。歴史を見て、年寄りが時代を変えたことはありません。すべて若者が新しい時代を切り開いてきたのです。年寄りは応援するしかない。利権の奪い合い、税金の金の取り合いが今まででした。大阪維新で、本当の民主主義がスタートかも?期待したいですね。



神社は科学

対馬・海神神社から冬至の方向に線を延ばすと足摺岬に行き着きます。足摺岬を調べてみるとこれまた面白い。
「この足摺岬周辺は、自然が作り出したものでなく、人工的に作り上げられたという説がある。近くには、ピラミッドまであるというのだ。その場所は足摺岬のそばにある白皇山。白皇山の山腹には巨石群もある。・・・・近年、足摺岬の沖で、人工的な海底構造物が見つかったのだ。・・・」と本にあります。まあ、海底遺跡は紀元前4千年前か、または、それよりはるか昔のものでしょうけど。
それにしても、線を延ばすと先々でぶつかってしまうのです。
宮城県で津波に流された大きな神社は一ヶ所のみで、それもそれは明治時代に別な所から移されてきたものだそうです。
この一ヶ月ちょっと、神社の配置を調べてきてたどり着いた結論は、
「神社は、(忘れられた)科学」ということですね。



日本の不思議

こんなの見つけました。
http://d.hatena.ne.jp/takase22/20110830


こんなの教えて貰いました。
http://sekaitabi.com/tsuhan.html
みなさんも、「通販生活 CM」で検索してみてください。

高野山と空海

「平安時代 [編集]弘仁7年(816年)、高野山を賜った空海は、翌年から弟子達に命じて伽藍の建立に取りかかったが、交通不便な山中のことで、工事ははかどらなかった。空海の在世中に完成した堂宇はごくわずかであり、無論、当時の建築物は現存していない。空海の他界後、弟子であり実の甥でもあった真然が約20年をかけて根本大塔などの伽藍を整備した。その後、京都の東寺との確執もあり、正暦5年(994年)には落雷による火災のため、ほとんどの建物を失い、僧はみな山を下りるという、衰亡の時期を迎えた。
荒廃した高野山は、長和5年(1016年)頃から、祈親上人定誉(きしんしょうにんじょうよ)によって再興された。治安3年(1023年)には藤原道長が参詣。平安末期には白河上皇、鳥羽上皇が相次いで参詣するなど、高野山は現世の浄土としての信仰を集めて栄え、寺領も増加した。源平の騒乱期には、高野山で出家する貴族や武士が目立つようになった。彼らは高野山に草庵を建てて住み、仏道に励んだ。」
とウィキペディア辞書にある。何でも衰退の時期があるんですね。何事も、100年単位でものを考えないといけないですね。どの宗教も教祖が亡くなると一時大きく衰退したり混乱、分裂したりする。そして消えるか、再興する人が現れるかで、宗教自体の運命が変わるのでしょう。天風会は創始者(教祖とは呼べない)が亡くなって衰退の時期に入っているのでしょう。


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