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買い物

はぁ~!今日も駅のスーパーで買いました、ほうれん草と極上豆腐に「田舎きんぴら」という名の惣菜とインカバナナにプロポリスのど飴。はぁ~、ため息が出るね。中年男の独り身の侘びしさが漂っているんだろうなぁ~。10数年前に奈良県の桜井駅だったかどこだったか、夏休みの昆虫採取帰りの小学生の男の子と父親との会話を思い出しました。父親が息子に言いました。「どこかで美味しいもの食べて帰ろうか?」と。息子は応えました、「早く帰っておかあさんのごはんが食べたい」と。ほ~!きっと立派なお母さんだなと思いました。今、自炊していて思います。それは正しい普通のことなんだと。今は正しくない普通が多すぎるのかも?
東京に始めて出てきたとき、東京の食べ物には美味しいものが何も無いと、好きではなかった田舎の魚が実は美味しいものだったのだと始めて知った。家庭料理というものは本来そういうものなんですね、きっと。
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自炊

学生時代やサラリーマン時代に少しは自炊していた。当時食べ終わったら鍋の中にお茶碗や皿などを入れて水で一杯にして流しの中に置いていた。要するに料理をする前に洗うということ。これはこれで合理的です。何の問題も無い。で、今回、自炊を始めたら、食べたら洗うということをしている。私にとって信じられないことです。まあ、仕事場でもあるのでいつ人が尋ねてくるかも知れないという理由もあるが人に言われないでそういうことをするということは画期的なことです。まあ、三日坊主で終わるかも知れないけど。豆腐、納豆、梅干し、湯通しした蕪にキャベツに焼きめざし。あ~、年寄りの食べ物だ。あ~、歳を取ってしまった。あ~、おじいさんになってしまった。でもこれで満足なんだもんね、美味しいもんね、洗うのも簡単だし。今日食べた納豆の名前は「ゆきしずか」。「ほお~!女性っぽい味だな」という感じの味でした。以前食べた三百数十円のは男っぽいたくましい味でした。
まあ、自炊だけど料理と言えるものは何も無い。そうそう自分でお湯を沸かしてお茶を飲むという回数も増えた。以前はスーパーで買ったペットボトルのお茶ばかりだったけど。ほんと自分でお湯を沸かすなんて。まあ、パック入りお茶を湯飲みの中に入れておくだけだけど。もうひとつ変わったことはテレビを見なくなったこと。テレビは寝室に置いているので普段は見ることが出来ない。寝室は寝るときに入るだけだから。それにしてもこれは人間の突然変異です。私がこんなことをしているということは私の死期が近いのだろうか?

昼食

今日は雨。昼食は部屋で摂ることにした。板橋の場合、マンションの玄関を出ると10m、20m、30mというような距離にランチの食べ物屋さんがいろいろあったので雨でも気楽に行けた。ここは雨だと出るのに億劫になるな。それは問題だ。で、人から貰った冷凍ピラフと、これまた人から貰った鹿肉。鹿肉にオリーブ・オイルを付けてフライパンでミニ・ミニ・ステーキの形で焼いた。油がパチパチ飛び散る。「ワワワワ・・」台所が油で汚れてしまう!今まで油で汚したこと無いのに(油を使ったそんな料理したことがほぼ無いから)。後で拭かないといけない・・・・うーん。鹿肉は肉の野菜という感じですかね。さっぱりした味をしている。オリーブ・オイルとピラフと鹿肉で胃がビックリしている。ピラフなんて何年も食べたことがない。鹿肉なんてひょっとしたら人生で始めてかも知れない。鹿肉を食べた記憶が無い。で、それだけでは足らないので昨日有機ショップで買った餅を二つ焼いて食べた。新しいマンションのコンロは電気コンロ(オール電化マンション)なので何事も火加減が分からない。電気コンロというのは結構火力が強いことを知った。切っても余熱でしばらくはチンチンしているので余熱も計算に入れてスイッチを早めに切らないといけない。
何事も新しいリズム感がまだ掴めないでいる。例えば安定打坐。坐る場所と方向が決まらない。どうも打座も方向が問題だと感じ始めている。寝るのは北枕が一番良いが打坐は南向きが良いのかも知れない。

太陽のコンサート

今日、モンゴル孤児施設の子供達による「太陽のコンサート」に行ってきました。正直、たまらんね。どうして親に捨てられた子供達、親を失った子供達があんなに素直に底なしの笑顔でいられるんだろう?マンホールの中でネズミに咬まれて死んでいたかも知れない子供達でもある。
ホームステイしている先の日本の親は、あうゆう子供達から「おとうさん、おかあさん」と呼ばれたらどうしようもないね。別れるとき、日本の親達は涙、涙になるというのはよく分かる。コンサートの半分は涙が流れた。もちろん利己的遺伝子論から見てそういうことは理屈では説明できるが実際に目の前にすると別だな。
10歳から18歳の子供達の歌、演奏、踊りといろいろあるのだが、プロと言って良いほどの内容だった。彼らの舞台度胸というものは日本人と違う。日本人は失敗したらどうしようという緊張で身体が硬くなるが、モンゴルの子供達は日本の観客に見て貰えるのがうれしくて身体がのびのび柔らかく弾んで動いている。本当にモンゴルの子供達はどうしてあんなに素直でかわいいのだろう?これが大人になると違ってくるんだなぁ~。どの段階であの素直さを失うんだろう?
「私達は世界で一番幸せな子供です。モンゴルの産み親から捨てられたことに感謝しています。なぜなら日本のとても優しいおとうさん、おかあさんに巡り合わせてくれたから。だから私達は世界で一番幸せな子供です」
「天国の神様は私のモンゴルのお父さん、お母さんを天国に連れていってしまいました。そして日本のお父さん、お母さんに会わせてくれました。もし神様が日本のお父さん、お母さんを天国に連れていったら私は神様に言います。私を一緒に連れて行ってくださいと」
「学校に行くとお母さんと手をつないでいる友達を見ると羨ましかったです。私にはお父さんお母さんがいないので寂しかったです。でも今はそういう友達を見ても寂しくありません。なぜなら今は私には日本にお父さん、お母さんがいるからです」だと。
コンサートの観客の約7割は若い人たちでした。孤児支援NGOが学生によって作られ運営されているからでしょう。今の若い人たちには立派な人たちが多い。日本の豊かさが生み出す平凡さがそのような若者達を育てているのでしょう。もっと多くの中高年の人たちの観客がいても良かったのにと思います。若者より中高年に問題があるのかも?問題のある中高年に育てられた子供達が問題を生み出すのかも?

ミカンの味

ミカンはどの家が育てているどの山のどの木のどの辺に成っているのが美味いか子供の頃はよく良く知っていて友達と一緒によく盗みに行ったものです。当時、子供のミカン泥棒ぐらいは誰にも怒られなかった。要するにミカンは木一本一本味が違うのです。都会に出て来てスーパーや果物屋でミカンを買うようになってそういう木一本一本の違いを味わうようなことが無くなった。糖度だけで判断して微妙な違いが区別できなくなっている。人間としての感覚力の低下ですね。日本人の感覚力の低下がいろんな問題の原点かも知れない。ミカンの木一本一本の違いを味わいながら食べるのが一番幸せな時間だったかも知れない。
子供の頃のいろんな食べ物の微妙な違いを区別していた磨かれた感覚の鋭さがひょっとしたら今、安定打坐をすることによって音や空気やいろんな微妙な違いを認識できる元なのかも知れない。


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