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世界の流れ

世界の流れを変えたのは、まずはモンゴルですね。世界という概念が始まった。それまではそれぞれの地域が世界だった。地域間に線による交易はあったけど面ではなかった。次がスペインですね。大洋を渡って虐殺と植民地化を行った。ポルトガル、オランダ、イギリス、アメリカはその後を追っただけ。
その次が日本ですね。レーニンも革命が成功したのは日本のお陰と、毛沢東も国民党に勝てたのは日本のお陰と言っている。そして第二次大戦の結果として日本が西洋のアジア植民地を開放して、アフリカに独立の流れが向かった。
裏ではユダヤ資本の流れに世界の流れは従っているという説もある。
スペインにユダヤ資本が集まっている時にスペイン覇権の時代になり、そこで迫害を受けて、ポルトガルやオランダに移動してそれぞれの覇権時代になり、そしてイギリスに移り、今はアメリカに移っているという。
何でも表だけでは無いですね。ひとつだけが原因では無いということですね。
当の日本人も、そして世界の人も気づかないでいるけど、日本は世界の流れの変化に大きな役割を果たしていると言うことですね。
日本から遣唐使、遣隋使として中国に学びに行ったと学校で教わっているけど、最近読んだ本によると、当時、中国から日本へ学びに渡ってきた人数や回数の方が多かったと。まあ、遣日使ですね。奈良時代の奈良の大仏の開眼法要の時に、中国だけでなく遠くはインド、チベット、ベトナムからも僧侶が来ていたというのは不思議だな?とは思っていたけど。当時、海を渡ることは50%以上の確率で死を意味していたのに、なぜそんな危険を犯して遠くの日本にインドから来る必要があったのか?ですね。遣唐使、遣隋使は片道で半分が遭難で死に、往復で3/4が死んでいた。無事に行って帰れたのは4人に一人だった。
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