秀吉だったか家康だったか信長だったか記憶にないけれど、狩りに出てのどが渇いたので農家に立ち寄ってお茶を所望した話しがある。最初はぬるま湯のお茶が湯飲み一杯に出て来てそれから少し時間が経って熱いお茶が出てきてその心遣いに感激したという話し。でもよく考えてみると当時はかまどで大きな釜に水を入れて枯れ草や枯れ木に火を付けてお湯を沸かす。とても時間がかかる。で、主人が、「え~い!そんなに時間がかかっては待ち切れん!」ぬるまでも良いからとりあえず焦って出しただけ。そうこうしているうちにお湯が沸いて熱いお茶を入れることが出来た。それは熱いので湯飲み一杯のお茶は手に持てない。で少しの量にした。農家の主人は段取りを考えて出したのでない。単にお湯が湧くに時間がかかって焦っただけと解釈できる。秀吉(?)が大いなる誤解をした単なる怪我の功名。
インドでオオカミに育てられた子供は大人になっても言葉を覚えることが出来なかったと。だから子供の時からの環境と教育が大事なんだという話がある。かつて読んだ本によるとインドでは奇形児とか精薄児はオオカミの谷に投げてオオカミの餌にするという風習があり、たまたまオオカミが食わないで育ててしまった。オオカミに育てられた子供は知能が低いので元々言葉を覚える能力が無かった。インド人は西洋の学者にそういう話しはしなかったので学者は大きな誤解をして論文を書いてしまった。インド人はそれをは知ってて知らんぷりをしているという話し。
おしっこしたら汚いから手を洗いなさいと教わってきた。しかし小便をして手を洗わなかったことで病気になったという話しは聞いたことがない。小便は腎臓で濾過されているから無菌なのです。菌があれば病気なのです。本来飲んで何の問題も無いのです。ただアンモニアで臭いだけなのです。しかしこのアンモニアはお米の美味しさの要素なのです。お米はアンモニアが含まれているから美味しい。アンモニアが少なければ美味しく一定以上多いと臭いだけ。美味しさと臭さは同じ成分なのです。放射線もそうですね。自然の中に放射能があるから生き物は生きていけるし、ちょっと多ければ病気治療にもなる。しかし多すぎると害となる。
何事も本の話しや先生の話をそのまま信じてはいけない。
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