今日、私が英語の勉強のために訳した実話話しをひとつ簡略して紹介します。
『手紙
当時私はアメリカのスーパータンカーの三等航海士をしていて、ペルシャ湾から韓国、ボルネオを行き来していました。それは1980年のことでした。
ペルシャ湾に戻るべく南大西洋を横切ってケープタウンに近づいている時でした。それは私の乗船勤務期間が終わってケープタウンで下船してマサチューセッツに帰る予定の航海でした。
その日、船の中にある六ヶ月前のシンガポール新聞を何となく手にしました。
ひとつの記事に目が留まりました。それはアメリカの斎場マネージャーのインタビュー記事でした。
「斎場の仕事の中で最も難しいのは悲観に沈んでいる人々を助けることです。
身内を亡くした人々の共通する最も深い悲しみのひとつは、亡くなった人に伝えておかなくてはならなかったことをもう何も伝えられないことです」と。
彼は、「亡くなった家族に手紙を書いて、その手紙を棺の中に一緒に入れることをアドバイスしています。そうすると残された家族の悲しみや苦しみが軽くなります」と。
私はその新聞を横に置いてソファーにもたれ掛かりそして目をゆっくりと閉じました。
そうすると私の母が棺に横たわっている映像がハッキリと見えてきました。
私は、縁起でもないその映像を消し去る努力をしましたが、その映像はますます強くハッキリとしてきました。私の中に突然の深い悲しみが溢れて来ました。
そのビジョンの中で、新聞に書かれていたように私は母に手紙を書きました。
その時の言葉はよく覚えていませんが、手紙に書いた感情や意味は今でもハッキリと覚えています。私の母への深い愛情について書きました。
それまで私が私自身を決して許さないで来た何か?それは、私は母に愛していると一度も言ったことが無いことが私を苦しめている原因だと知りました。
私はそのことをイメージの中で母への手紙の中に書きました。
その間、母の棺の映像はずーっとハッキリと続いていました。
私はそのイメージの中で書いた手紙をイメージの中の母の棺の中に静かに入れました。
そうすると私の深い悲しみはスーッと引いていきました。
そして私は今日するべき仕事について考え始めました。
その日の夕方遅く、部屋で夜の当直勤務の準備をしている時に船長がドアをノックして入って来ました。
彼は部屋に入って来て、私にソファーに坐るように言いました。
船長は、「今から伝えることは私にとって一番苦しい仕事だ」と言いました。
私はその言葉を聞いて、私はこの3ヶ月の航海で何か失敗をしたのだろうか?
そのために船長は私の解雇を言いに来たのだろうか?と考えていました。
船長が次に何を言うのか緊張して船長を見上げると、船長の目に涙が流れているのが見えました。船長は電報を読み始めました。
それは私の母が亡くなったことを知らせるものでした。』
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