民主主義は、多数派も少数派もみんなでいろいろ議論して、多数決で決めてその結果にみんなで従うものと教わっていますが、どうしてその結果に従わない反対派の人が多いのだろう?それは民主主義を否定することで独裁を認めることになるんだよね。自分が力を持ったら独裁政治を行うという意志表示だよね。それが共産党であり左翼だな。左翼は知性ではないな。沖縄で基地移転反対運動家がずーっとそこに留まっていると言うことは、そのための日当や宿泊費を誰かが出しているということだよね。そのスポンサーは誰なのかということは、ほとんどのメディアは言わないよね。それはC国です。日当を貰わなければ誰もやらない。それにしても今の日本は、”車のハンドルの遊び”の部分に余裕が無いということだよね。沖縄で大阪府警機動隊の一隊員が土人発言をしてメディアは騒いでいるけど、どうしてそんなことを問題にするのだろう?それは日本人の心に遊びの部分が無い証明だよね。軍隊で二等兵が何かを言ったことをメディアが騒いでいるようなもので、二等兵の言葉にいちいち気にしているようなものだ。そんな国は他に無い。それに大阪府警なんだから、そんなのまだ良い方だと思うな。それに反対派の罵声を常に聞く機動隊は遙かに我慢しているのにね。
共産主義の場合は思考や言葉に遊びの部分が無いけど、民主主義は遊びの部分が無いと成り立たないと思うな。立ちションベンも殺人も共に法律違反だから、立ちションベンでも絞首刑!と言っているようなものだな。
「テレビが取り上げると言うことは、それは罪が重いのよ!」と多くのおばさん達は言う。テレビが取り上げるかどうかが、ものの重さの価値判断になっているんだよね、日本は。スカートの下から鏡で見たというだけのことも、それがテレビで取り上げられれば重犯罪になるのが日本。そんなのビンタ一発お見舞いすればいいだけのレベルの話しなのに。
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