天風会員のある人が言いました。車の来ていない横断歩道で信号が赤になっていたら渡らない。なぜか案配が良いと。それを聞いて、「なるほど!」と思い、それから車が来ていなくても赤信号では私も渡らないようにしている。早朝や夜など車が左右前後まったく見えない道の信号でも青信号になるのを待って渡る。理屈では信号は車が通っている時にのみ意味があるので、車が見えない時は赤信号でも渡るのが理屈であり合理ですね。車がいない時の赤信号を待つのは理屈に合わない非合理ですね。この、”案配が良い”というのは非合理な判断だけど見えない何かと繋がっているような気もしますね。
理屈が正しい合理に従うと、見えない何かと繋がらないような気がしますね。
理屈を超えた何かに、「なるほど!」と直感で感じて実行するのが日常の小さな悟りかも?どちらが正しいかどうかでなく、どちらが案配(深い心の中で感じる安心)が良いかを選択するのもひとつの生き方ですね。もちろん車が来ていない道での赤信号を渡る人を否定はしません。それは当然の選択だから。
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