8/15、靖国神社にはここ数年なぜか毎年参拝していますが、そして当然その存在に肯定ですが、でも変ですね。なぜなら靖国神社はすべての戦没者、戦死者を祀っているわけではありません。すべての女子供も含めた戦没者、戦争犠牲者を祀る施設はあるような無いような中途半端ですよね。戦没者慰霊碑というのはあるけど、慰霊碑というのと神社で祀るというのとちょっと違うような気もするけど?
日本人の「祀る」という感覚は何か変ですね。他の国は墓地ですよね。アーリントン墓地とか。墓地だったら日本ではお寺ですよね。日本では神になるんですよね。国のために死んで神になって神として祀られる国なんて日本だけだと思うな。戦死した人がキリスト教徒だったらビックリだよね。神の傍の天国に行くと思いきや、自分が神になるなんて。でも日本人は宗教的ごちゃ混ぜで気にしない。私は日本人の精神構造は、雑木林的と言っています。日本の森や山は雑木林なので、そこに生息する人間の精神もその相似形となって雑木林的なる。
私は靖国神社の裏にまたは横にすべての犠牲者、戦没者を祀る神社を建てるべきだと思いますね。そこに総理や閣僚が参るのは何の問題も無いはず。そして靖国神社と秘密の地下道で結べば良い。
ままそれはそれとして変なのは、亡くなった人を祀るのは普通はお寺ですよね。日本の戦没者を祀っているお寺って無いですよね。仏教界はどのように考えているのだろう?各宗派がバラバラで全体を祀るお寺は造れないのかな?お寺は個人用なので全体を祀ることは出来ないのかな?
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