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お雛祭りに思うこと。

最近、昔のことを思い出すことが多くなっている。歳を取ってきている証拠なのだろう?かつて飼っていた犬や猫を思い出すことがあることは書いた。
スーパーに入ると、お雛祭りの音楽がかかっていた。昔の記憶が出てきた。
私の母の実家には、私と8歳違いの女の子がいたので毎年、大きなお雛壇が飾られていた。私の村の女の子のいるどこの家のお雛壇も大きかった。それらは毎年この季節、それぞれの家の蔵から引っ張り出されて飾られた。
子供にとっては当たり前の毎年の行事だった。女の子から見て、どこそこの何々ちゃんちのお雛壇はもっと大きいとか、もっとたくさんお人形がいるとか、新しいお人形がいるとか、比較の意識があったのかも知れない。
男の子の家には、毎年、5月に大きな鯉のぼりが泳いでいた。私の家にも門の前の畑の中に大きな柱が立てられ、何匹かの鯉が泳いでいた。
子供としては毎年の当たり前の光景なので特に何も思わなかったけれど、自分の家には鯉のぼりが掲げられていなかったら子供としては寂しい思いをしたかも?お雛壇や鯉のぼりは、親や祖父母の子供の今まで成長に対する神様への感謝や、これからの成長に対する祈りがあったのだろうな?
子供にとっては他の家のお雛壇や鯉のぼりの比較でしかなかったけど、それらは比較するものではないということを何歳で気づくかですね。
毎年当たり前のようにそれらが飾られていたということは、当たり前のことではないんですよね。今、凶悪な犯罪を犯す若者だけではないけれど若者が子供の頃、お雛壇や鯉のぼりが親の祈りの心で飾られていたのだろうか?
正月元旦の朝には家族で、うやうやしくお屠蘇を戴き、家族一人一人が順に鏡餅を両手で持ち上げて、「おめでとうございます。本年もよろしくお願いします。」と言う行事をしていたのだろうか?私の家では、ずーっと今でもやっている。
そういう行事は、今の科学的思考では意味の無い迷信的、時代錯誤の行事なのかも知れないけれど、子供の心の安定には、見えないところで有効なのではないだろうか?
そして親の、または一族の子供に対する祈りの心を皮膚感覚で子供が感じることができるかどうかですね。その子供に対する祈りの心の下で、子供は安心して無邪気に遊ぶことができる。子供は子供同士、比較するけど、今は親も子供を他の家の子供と比較しているのではないだろうか?
子供は比較されると拗ねるよね。そしてその不満はずーっと残るよね。
私の従妹は素直に育っているので、親に、「勉強しろ!」とは言われたことは無かったのではないだろうか?と思って、この正月、義叔母に聞いてみた。
するとやはり、「勉強しろ!」と言ったことは無いと言っていた。「夏休みの宿題を夏休みの終わり頃に親ぐるみで仕上げてはいた。」とは言っていた。まあ、そういうことは従妹にも聞いてみないと本当のところは分からないけど、その従妹の娘もまた、親(従妹とその亭主)から、「勉強しろ!」とは言われたことは無いのではないだろうか?素直に育つと何事も一番良い形に収まるような気がする。
素直というのは、何事も頼まれごとを嫌がらない、何でも楽しんでやる性格を持っているということだな。素直で無い人は、何でも文句と不平を言っている。
それは親からの祈りの愛情を皮膚感覚で持てなかった人か、または与えられなかったと誤解的に勘違いした記憶を維持している人だな。
ちなみに私の子供の頃、私の村でお金をたくさん持っている家は既に無かったように思うけれど、ずいぶん贅沢な村だったと今になって思うな。子供のいるどこの家も大きな雛壇と大きな鯉のぼりが当たり前にあったから。それらは代々受け継がれてきたものだと思うな。
ただの庶民の家がそうだったのだから、昔の日本は豊かで平和だったんだと思うな。士農工商という身分制も本当は無かったという説もある。侍と庶民という二つだけだったと。庶民も優秀なら養子縁組で侍になれる道もあった。封建時代に庶民が貴族や支配者階級になれるルートを持っていた国は他にありません。江戸時代では侍と言っても今の官僚とか公務員に当たるんだけどね。
切り捨て御免なんかも余程のことがないとあり得なかったし、切り捨てた侍も後で切腹させられたという話しもある。理不尽に侍が庶民をいじめるのは映画やテレビの中だけの話し。
戦後の左翼思想と日本否定の思想で、左翼学者が戦後、歴史を書き換えたという話しがある。少なくとも瀬戸内海は江戸時代豊かだったと思う。大阪も生まれてから死ぬまで侍を見たことが無い人も多かったという。

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