砂利敷きの中に小さな雑草が生えていた。それを見ていると、小さな草という見える現象の背後に、「いのち」の世界(命のエネルギー)が存在している。
その見えない「いのちのエネルギー」が宇宙本来の存在ではないのか?現代の物理学が追及している宇宙というものは、そのほんの一部ではないのか?
よく言うのが、饅頭の世界ですよね。饅頭の皮の部分が見えている世界で、饅頭の肉の部分やあんこの部分は人間の目では見えない。
小豆島にある、ある文人の碑に、「一粒の砂の大きさは、宇宙より大きい」というのがある。これは悟りの境地ですね。小さな草の命の後ろに見える物理宇宙より大きな生命宇宙を心眼で見えるかどうか?ですね。今朝はそんなものを感じたな。すべての命は、その生命宇宙エネルギー(宇宙霊)の分派なんですね。すべての生命は繋がっている。生命ではない岩なども、さらにその後ろで繋がっている。実はそういうことを深く思念すると、自動的に自然クンバハカになるんですよね。または、クンバハカにスーッと入って行ける。そこには生と死という二分割された世界は存在しない。それが霊体ですね。
ある天風会員が女の子を産みました。別のある天風会員に女の子のお孫さんが産まれました。二人の赤ん坊は同じ日に産まれました。そして何と!更に名前も偶然にも同じだそうです。30年後、40年後の天風会が楽しみ!
PR