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積極

亡くなった人に心を向けるということは、天風先生存命の頃の戦前からずーっと天風会には無かったのかも知れない?それは心が消極になるから?
戦前から昭和25,6年頃まで会員だった人のお話が日曜行修会で一度あって、その人に後で天風会員も多く戦死している中で戦争中の行修会の雰囲気をお聞きしました。積極一貫だったとのことでした。
「一度、悲しみを受けとめて、それから積極に向かうということが大事だと思いますが、天風会にはそういうのがありませんね。」と私が言ったら、
「それが私が天風会を辞めた理由かも知れない。」と言葉が返ってきました。
このことは当時のブログに書きましたが、その人は、ヒーリング・サウンドを作る会社の顧問をしていました。そのヒーリング・サウンドを作る会社が作成した音を私も偶然安定打坐用CDの中に組み込んでいました。こういう人がみんな天風会に残っていれば天風会は凄い会になっていただろうに?と思いましたね。
天風先生は般若心経を写経したり、仏像を彫っていましたが、それは戦争などで亡くなった天風会員の鎮魂だったのかも知れませんね。でも、天風先生は理由を口にしなかったので、それを理解できる会員はいなかった?のかも知れませんね。天風会には積極はあるけど、癒しが無いんですね。ヒーリングとか癒しというのが今の世の中には必要要素なんだろうと思いますね。
「癒しを必要とする人は他に行け!」なのかな?それが会員数の縮小傾向の理由かも?少なくともそういうことに対する理解や思いやりは必要だよね。
追記
天風先生は未来透視が出来ていたので、戦争中、こいつは生きて帰ってくると見えた人間には、「お国のために死んで来い!」と送り、
こいつは戦死すると分かった会員には、「何があっても生きて還って来い!」と言って、後で陰で泣いていたと聞いています。
天風先生個人は、そういう人の情が深かったと思うのですが、会の活動の中に形としては何も入れなかったので、そういう心情は会としては誰も受け継げなかったのかも知れませんね?20年ぐらい前に、当時の理事長が現役で突然亡くなっても、天風会の行修会では亡くなったお知らせも黙祷もありませんでした。
それで尊敬に値する会員が会の冷酷さに怒って天風会を辞めて行きました。
そうやって天風会は、多くの人の指針になるような優れた会員が去っていった。
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