悟りとは、
死生観の確立と、命の凄さ、素晴らしさに気付くことだと思うんですよね。超能力なんかいらないし、関係がない。命は命をかけて守る価値がある??
親や教師が命の存在の凄さ、素晴らしさを子供に教えることが出来れば、子供のいじめなんてものは無くなる。大人同士の間のいじめも無くなる。それとも大人の世界のいじめが子供の世界に反映していじめが起きている?政治の世界はいつも、いじめの世界みたいだね。
死生観と命の存在の凄さというのは、天風先生はあの手この手で教えようとしているが、天風会では教え切れていない。それは教える人がまだ悟っていないから、それらが分からないからですね。会員も先生方も一人一人はまじめで誠実なんですが。「何の本にこうこうしかじか書いている」では、まったく分かっていないことになりますね。知識では分かる世界には入れない。
理入というのは知識や理屈(理論)から理解することを言うのではなく、瞑想の中で悟ることを理入と言うんですよね。でも瞑想の前に知識を入れておくことは必要。知識が瞑想を通して身体の中に染み込んで行く。瞑想中のイマジネーション力が必要なんだろうな?だから真理瞑想中はメモを取るな!と。
メモをしている時はイマジネーション力が働かないから。話がまた逸れた。
とにかく、命の素晴らしさが分かっていれば、黙祷ぐらいは自然に出来るよね。そういう意味では宗教の方がまだ真理に近い?
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