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こんなのもありました2

私はダライ・ラマのファンですね。尊敬に値します。

昨日、電車の中で人を観察していました。ほんとに多くの若い人がiPhoneやスマートフォンを持っていますね。私も持ちたいとは思いますが、そこまで必要なのだろうか?とは言いながら、私も初期のiPadと最新のタブレットPCを持っています。それにしても普通の携帯でなぜ満足しないのだろうか?普通の携帯でも充分のはずなのですが。使うと便利だけど無くても良いもの?私もiPhoneを持とうかとずいぶん検討したけど月々の費用がネックでしたね。
スマートフォン依存症を若者に蔓延させている。いえ、蔓延させられている。誰かの策略を感じますね。
一人月一万円近く(7~8千円)を払っています。家族で持つと通信費が何万円にもなります。これは第二の税金ですね。全部合わせると大変な金額です。それで各通信会社は一兆円近くの利益を出しています。誰も変だと思わないみたいですね。物を輸出しないで電波という空気を売って国内だけで3兆円の利益を得ている。
で、考えました。昔、奴隷というのは、綿花畑で綿を摘み取る仕事など単純作業の生産業務に携わっていました。生産のための奴隷ですね。今は、消費のための奴隷なんですね。今の奴隷の役割は何も考えずに欲しいという気持ちをマスコミによって操作され、三兆円の利益を資本家に得させているのです。消費奴隷なんですね。生産奴隷から、メディアによる洗脳によって消費奴隷にさせられたのです。いえいえ、今は情報奴隷にさせられているのです。
以前読んだ本に次のように書かれていました。
リンカーンは本質的奴隷解放論者ではないと。アメリカの南部では綿花畑などのように農業が主体でした。農作業には奴隷というシステムがよく機能していました。
北部では工場生産による産業が発達してきました。そこに奴隷を使うと生産性が上がらないことが分かりました。効率も上がらないし、不良品もたくさん出る。奴隷のために家も必要だし、食料も買い与えないといけない。意外にコストがかかる。そこで奴隷を解放して給料制にしました。そうするとその従業員達は工場で生産するものの消費者にもなりました。で、従業員に払った給料は資本家に戻ってくる。奴隷は給料制労働者になることで工場で生産されるものの消費者にもなったわけです。で、リンカーンは奴隷解放を訴えることにしたと。だから、リンカーンの奴隷解放は工業化の経済的合理性のためであってヒューマニズムとか人間性の目覚めではないと。もちろんそんなことは口に出来ないから、言葉ではヒューマニズムと理想論を述べる。





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こんなのもありました。



言葉が早くて付いていくの大変ですが・・・・・


私も昔は思えなかったけれど、
「生きたまま、生まれ変わって、生き直せば良いよ。すべてはおまえの選択だ」
と思える歳になったな。
許せる、許せないと、あ~だ、こ~だと考える無駄な心のエネルギーを使う時間はもう残っていない。それはもうお爺さんの心境か?それとも悟りの心境か?どっちだろう?ただ、何歳になっても試練は与えられるな。はははは!
まあ、10年後、20年後のために、今、うまくいってはいけないこともあるのかも知れない。すべては繋がっていてすべては必要なことだったと思える心境にはまだ私もなれていないけど。
ただね~、歳と共に穢れには近づかない方が良いような気がするな。
若い時は何事も無理をすることは必要だと思うけど、歳と共に何事も無理する必要はないという気がするな。人間関係も。自分の置き場所を自分で選択するというのが歳を取って選択することかも?林住なんてその最たるもんだよね。
頑張るべきものには頑張らないといけないけど、結果にこだわらずにですね。自分に内在している力は発揮しないといけない。それは生まれてきてすべき義務のような気がするな。それは手を抜いてはいけないけど、でも、リラックスしてということですよね。日本人は、結果や人間関係にこだわりすぎているんですよね。結果にこだわっているのは先進国はどこの国も同じかもしれないけど。
遊牧民は、天候にこだわっても天候をコントロール出来ない、羊や山羊の数や生死にこだわっても、それらをコントロール出来ない。天にすべてを任して今日を手を抜かずに生きるしかない。日本の修行者よりはるかに悟りに近い。
頑張るべき事に頑張れるのが、天からの祝福、恵みですね。



観相家や占い師と呼ばれるプロ中のプロは驚嘆に値するものがあるが、素人見でも、顔が似ていると声が似ている、顔が似ていると髪型も似ている、顔が似ているとなぜか口調も似ている。顔が似ているとなぜか性格も似ているという不思議を感じますね。
顔が似ていると声が似ているというのは顔の骨の構造として似てくるのは分かるけど、それ以外は不思議ですね。生まれも育ちも、まったく別の人間なのに。
不倫離婚したタレントのYに関しては、「こういう顔はやはり元々そういうもんなのかな?」と感ずる面もなきにしもあらずですね。
「この顔はちょっと嘘があるかも?」という感じはしていたけれど、個人的感情が無ければ、結構、見た目というのは当たりますね。「好き」だとか、「こういう人、私の好み」という感情が入ると見えなくなるけど、何事も顔に出ているのですね。タレントYの行状をインターネットのニュースを見ていて、なんか、顔と性格について、ずいぶん納得する面はあるな。彼女には良い面もたくさんあるとは思いますが、自宅での浮気で彼女の良い面がすべて台無しになった。
でもまあ、人間は、宿命を背負っている面もあるので、すべて必然かも知れないし、それを克服するか、しないかも自分の責任なのかも知れない。
人間は二者択一の選択を常に求められている。我慢するか、誘惑に負けるか。諦めるか、挑戦するか。するか、しないか。
人間として、していいことと悪いことの区別が出来ない人もままいるな。
「私は、快と不快があれば常に快を選ぶ」と。その考えは正しいと思うけれど、高級な快を選べば良いのだけれど、低級な快を選べば、タレントYのようになる。それもまた自分で選択した人生で自己責任ではあるけど。人に原因を押しつけていると更にマイナスのカルマを作ることになる。32±2歳というのも、女の人生の分岐点かも知れませんね。遊びを卒業するというのもその中に入るかもしれませんね。Yは卒業できなかったので、神様か守護霊から強制執行された。男は36±2歳ぐらいか?
タレントYも今までは、感情と欲望(仕事の成功欲と性欲)と運命に順調に流されてきたのかも知れないけれど、自分がどう生きるかという自分で自分を創る分かれ道にたどり着いたということかも知れませんね。だからバレたことは魂的に見ると感謝なんですよね。心(こころ)的に見ると試練かも知れないけど。感情的に見ると、バレてしまうようなやり方をしたことが失敗かも知れないけど。失敗と取るか、試練と取るか、感謝と取るかはその人の器ですね。
生活は生活、遊びは遊び、仕事の付き合いはそれはそれで三方ともうまくバレないで楽しむという美味しい話は無いな。タレントYは子供がいなくて良かった。それが救いだな。子供がいれば子供も悲劇の人生を味わうことになった。
「離婚はやむを得ないけれど、今回の私の罪は生涯、償っていきます」と発表していれば失地回復の余地はあったと中年としては思うけれど、日本からそのような言葉や概念は消えた?若者はそういう価値観は持っていないようだから。
罪という意識より、逆ギレをする。当然それは魂に逆らっているので心の病になっていく。







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