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真実4

結局、人間は自分で自分の心や生き方を変えることは出来ないんですね。
神様によって心や身体を強制的に壊されることによって始めて今までの流れを止めることが出来る。そして今までの固定観念、脅迫観念による生き方が出来なくなって、「どうして私がこんなことに?」と落ち込みながらも心の中のどこかで安堵感が生まれているはず。だから心や身体が壊れ切ることは救いですね。神様の慈悲ですね。そして自分で本気で真実に気づいて、「よし、変わろう!!」と決心した時、本当の救いがやって来る。




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真実3

ある占い師が言ったという。「分かったことの5%しか言ってはいけない。教えることは希望を与えること」と。
私も過去や未来を10知ると、その半分の5言いたくなる。100知ると5しか言えない。結局5しか言えないのですね。過去や未来の現象の背景にある意味なんて、調べて分かっても、たとえそれが良い意味の内容であっても、口が裂けても言えないものばかりですね。そういうもんなのですね。自分の頭で考えた独りよがりの解釈のままでいた方が余程か楽いですね。自分の頭で考えたことは口に出来るけど、神様から教わった言葉は神様の許可がないと口に出来ない。
自分に起きる問題や自分の考え方、行動パターンや因果律は、家の数世代前の過去から繋がっているということも、私の一族の歴史を見ても明確に分かりました。

最近の生物学的遺伝の研究で、DNAによる生物学的遺伝とエピジェネティクスによる一族の文化遺伝(家族の思考気質や行動気質も含まれる)というのがあることが分かってきている。ひとつの家系でいろいろ共通の問題が代々連続するのはエピジェネティクス遺伝ですね。人間はエピジェネティクス遺伝によって思考と行動が操られている。エピジェネティクス遺伝とは、古い言葉で言えば「因縁」という言葉で言われているものですね。因縁が最新の遺伝科学で証明され始めているということですね。それがマイナスの内容なら自分の代で断ち切らないといけない。

エピジェネティクス遺伝とは、自分の考え方や行動が、数世代前からの先祖の行動と思考パターンに操られているということですね。代々同じ行動が繋がっている。
(先祖がしてきたことを何も知らないのに自分も無意識に先祖と同じ事を繰り返しているということ。)そういう事例を私はたくさん知っています。

こういう話しの上に魂のカルマも付け加わってきますから運命は複雑ですね。
運命の法則とマイナスを断ち切る方法も含めてそんな話しを次の勉強会でお話しできると思います。









真実2

今までは過去と未来の現象としての事実だけを見ていたのですが、その裏にある理由を見つけ出していったら、私の思考や想像を遙かに超える答えが次々に出てくる。「まさかっ!」の連続ですね。人間は如何に何も知らないで生きているかということですね。背景の理由を見つける時は、消去法ですね。それが正しいか、間違っているかは神様が答えてくれる。次々に可能性を考えて潰していく。それでも答えが見つからずに、最後に「まさか、そんなことは?」と思いながら見てみるとそうだったりする。
本当に、「まさかっ!」の連続です。人間は誰もが自分の事を何も知らないで生きている。人は自分に起きた現象と自分の感情と自分から見た判断しか知らない。まあ、それは当たり前のことですが。
もちろん、いくら未来を見ても未来は一元的に決まっている訳ではありません。
心が変われば未来は変わると私はいつも言っています。


五日市さんの講演

昨夜(8/30)、五日市さんの話しを聞きに行った。今回も録音はしたけれど今回はCDにはしない。とても良い話だったけれど、CDにして人に聞かせるにはちょっと話しが重い。なぜか私にとってベスト・タイミングでの反省させられる話しが多かった。昨日は自分の人に対する思いやりの無さを痛感させられた日だった。
これからは、何を言われても、何をされても一矢報いるのは止めよう。
「ありがとう」と受け止めよう(涙・涙・涙・涙で)。もう涙なんか無くなっていたと思っていたけど、まだ出るね。昨日は結構涙が流れた。



心の病

今まで何人も心を病んでいる人に関わってきたけど、彼ら全員に共通するのは、「自分が逆(相手)の立場だったらどう思うか?」という思考や発想がゼロだということですね。なぜそういう思考が出来ないのだろう?もちろんそれが出来れば心の病にはならないでしょうけどね。また人から見て狂った行動もしないでしょう。
時に人は、「私は○○に絶望の底に落とされた」と言いますが、その前に自分が○○を絶望の底に落としていることに気づかない。自分が人に与えたものが、その反応として自分に返ってきているだけなのにそれに気づかない。おそらく自分が○○から受けた痛みより、○○に与えた痛みの方がはるかに大きい。しかし人は自分が受けた痛みは大きく、人に与えたものは小さいと感じるものですね。
心を病んでいる人にこういうことをいくら言っても、「そんなことない。私は悪くない。○○が悪い」と口に出さなくても心の中で思っているのが分かる。
とは言いつつも私も人のことを言える立場ではないですね。
今でも相手の私に対する理不尽な行為(私から見て)に対して一矢の報いを返すもんな。いくら何をされても一切報いないというレベルまでまだなれないな。それはこれからの私の修行だな。
「自分がされて嫌なことは人にしない」ということは基本にしながらも、私も30代半ばまでは反省のかけらも無かったですね。反省という言葉が私の辞書に載ったのは40代半ばからですね。いえ、50ぐらいからでしょうか?
私も未熟ではあったけれど、「すべてはこれで良い」というのが神様からの声です。
すべて感謝です。ありがとうです。合掌。








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