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憑依

憑依ってほんとにあるんですね~。憑依された人は憑依している存在によって思考が作られている。その思考を自分の思考として思い、その思考が正しいと信念している。う~ん、そういうのは私の手に負えないですね。神様に任すしかない。
神様と悪魔の戦いでは、そら~、悪魔の方が強いもんな。神様の武器は時間ですね。時間がかかるな。悪魔がこの人間はもう使えないと思うほどにその人間をボロボロにしてから悪魔がその人間を捨てた後に神様が働くのかも知れません。それまでは神様は悪魔に負け続けるな。生きている間に悪魔が離れてくれれば良いのだけれど。
調べていると血の気が引く思いをすることがある。先日も、始めてある人の目を通りすがりに見て、「ゾーツ」とした。「この人、狂っている!」と。もちろん本人も回りも誰も分かっていないけど。普段は、悪魔は引っ込んでいるから。
ちなみに憑依されないためにはクンバハカが一番良いです。しかしそこまでクンバハカが出来る人はなかなかいないし、クンバハカを学ぶ前に既に憑依されている場合はどうすれば良いのかはこれからの課題ですね。
神様と悪魔の簡単な見分け方、それは神様は過去を水に流すけど、悪魔は反芻するということですね。反芻とは、過去に人から言われた自分の気にくわない言葉を思い出しては、「許せない」と心と口が繰り返すことですね。その時は悪魔に取り憑かれていると思って自分でその心を振り払う必要がありますね。
神様が付いているときは、いい人、凄い人に次々に会える縁が出来る。
悪魔が憑依している時は、波動の低い人や場所、お金がうごめいているお店(ストレス解消だと思って行く)に縁が出来る。
神様が付いている時は、自分にとって厳しい言葉も感謝で受け入れられる。
悪魔が憑いている時は、自分にとって心地よい言葉しか受け入れられない。自分にとって厳しい言葉に対してヒステリーを起こす。


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感動と学び

人の話しや講演を聞いたり、映画を観たり、芸術を見たりして感動することはとても大事ですね。問題は感動した翌日からそれによって自分の生活習慣、思考習慣、行動習慣がたとえ1ミリでも変化しているかどうかですね。
いくら感動しても自分の思考や行動が変わらなければ感動の意味が無い。細胞感覚で感じて自分の中の何かが変われることを私が何かを教える場合の目的にしている。いくら教えてもその人の思考や行動が変わらなければ無力感を感じるな。
変われない人は、神様によって病という形で強制的にストップがかかる。心や身体の病になる人は神様の慈悲に包まれている。「病は神様からのお便り(おまえの生き方、考え方は間違っているよという)」と説いている人がいる。その通りですね。






美味しいもの

いろんな人から美味しいものをいろいろ戴きます。一人で食べるのは勿体ないというか、誰かと、「美味しいね、美味しいね」と言い合いながら食べたいものですね。
今日も昨日戴いた田楽豆腐に田楽味噌を付けて食べました。ちょっと知らなかった豆腐の味でしたね。美味しいですね。美味しいものは、一人では勿体ない。
誰かと一緒に食べて美味しいものがより美味しく感じる人は今まで何人いたのだろう?あまりいないな。40以前は覚えていないな。美味しさを味わう余裕が無かったかも?それとも美味しいという所に行けなかった?味の記憶としては、40半ばでAと六義園散歩の後、駒込のただの小さな喫茶店で飲んだコーヒーの味が最初だな。最近では夜のたこ焼きか?あまり幸せな人生じゃないな、俺?
前回書いた女性とは何度も美味しい居酒屋に行ったけど、ただの普通の美味しい味だったし。若い時はデートしても緊張して美味しさなんか分からないことが多かったし。まあ、いろいろ行ったのかもしれないけど、40以前は味としては記憶に無いな。それとも、心で味を感じるようになるのは40半ばを過ぎてからなのだろうか?






湯飲み

常滑焼きの「湯飲み」を友人から戴きました。次期人間国宝の作だと言う。
何だかよく分からないけど凄い!自然を表現しながら自然そのものでもない。禅の高僧が作ったような風情がある。買えば安い物でも東京ー名古屋間の新幹線2往復分以上の値段がするという。6月に戴いた急須も禅の高僧の空気がある。
ちょっと見た目、何が良いか分からないけど、「う~ん」と唸ってしまいます。外人には分からないだろうな~、この価値?
で、大学を卒業した時だったかな~?ある女性から貰った小さなぐい飲みを見た。
「あれ?これもかなり高いもんだな。同じ常滑焼きかも?」と。そう言えば、彼女、これデパートで買ったと言っていたかな?
そうそう大昔の話しだけど、それから数年後、彼女言っていたな、「○○さんがプロポーズしてくれないから私結婚することにしました」と。「そう、良かったね~!」と私は言葉を返しただけでした。(私にとってはただの飲み友達以上の気持ちは無かったから。それも私から誘ったことは一度も無いし。異性という感情も起きなかったし。)
ちなみにその後、彼女に頼まれてウェディング・ドレスを一緒に選びに行きました。そして彼女から、「私のために、これを買って欲しい」と頼まれて買って上げました。中古セールの安い物だったので。異性という感情が無かったので妹感覚ですべて気楽に何も考えずにホイホイと。32~36年前のどうでも良いことをこの湯飲みから思い出しました。はははは。今でも彼女に惚れた男の気持ちが分からない。

ランチ

今日のランチの人数は少なかった。5人だった。でも人数が少ないから聞けた話しだった。人数が少ない時は少ない理由がある。すべて神様か天風先生か知らないけれど、「見えざる計らい」によるものですね。あるがままに受け入れれば良い。すべての形に意味がある。
それにしても思うのは、男はダメだな~!私は昔から言っているけれど、「女は生まれながら女だけど、男は鍛えないと男にならない」と。本当にそう思うな。男は20歳か、遅くとも25歳までに一度自我の崩壊をした経験を持たないといけないな。一度自我崩壊をしないと本当の自我が作れないから。でないと自己制御が出来ない。
それにしても出来たら高校一年の9月に戻りたいな。人生の分かれ道だった。しかしあの時、仮に別の判断をして、今回と別の人生を歩んでいても、今回の人生は来生で経験しなくてはいけなかったことも分かっている。過去生のカルマがあるからね。カルマを解消するための行脚の人生を。今回の人生はカルマを解消するための行脚の人生だな。本当は中二の秋からみんな分かっているのだけど、口に出来ないのです。普通の人には理解できないから。あの時に見た未来が今になろうとしている。それでも、かつての未来であった今から、かつての今であった過去を見て(過去透視)判断すると違う可能性の答えが出てくる。考えてしまうな~。
真実は今も昔も何も変わっていないけれど。
みんな何も知らないから変われるけど、知っていると変われない。
確かに未来の形は、今の心と判断によって大きく変わるという面もある。
人生は四元連立方程式を解くようなものだな。本当に難しい。私は三元連立方程式までは解けるけど。ちなみに昨夜、中学の数学の話しを人としていて思った。透視は幾何学を解くのと同じ頭の使い方だなと。幾何学と同一の直感とイメージの自動的湧き出しだな。

鬱や統合失調症など心の病になって自我崩壊したと言う人もいるけど、それは違うと思いますね。自我があり過ぎて自我をコントロール出来ないのが鬱などの心の病ですね。
自我が崩壊することは考える能力も無くなりますから。鬱や神経症などは、どうでもいいことにひたすら頭がコントロール不能で働いている状態ですから。
鬱だけぐらいなら問題解決可能な範囲だけど、今、次々に私の前に現れるのはそういうレベルを遙かに超えてしまっている。
15年くらい前に鬱の女性から、「助けて~!両親が私を精神病院に入れようとしている。私は入りたくない~。どうすればいいの~?」と夜中に電話が入ったのがすべての始まりですね。それから毎週電話が入るようになりました。そして私もずいぶん勉強しました。それにしても人間は見た目ほとんど変わらないのにどうして心の中はこんなに違いがあるのだろう?





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