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音楽


安定打坐用の音楽を探していたらこんなのにぶつかった。




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夢3

今朝、小学校の同級生のK君とM君が出てきた。Aも出てきた。Aはいつものことだけど、K君とM君は初めてのことだ。この二人は同窓会に出てきたことがない。K君は某国立大学医学部の教授をしているので忙しいのは当然だ。K君には一度会って話してみたいとは思っている。
それにしてもどうしてこの二人が夢に出てきたのだろう?
てな事を考えていると、なぜか同じクラスメイトのS君から電話が掛かってきた。
「今日、時間があるか?」と。「残念ながら今日は打ち合わせに佐倉に行かないといけない。夕方からなら大丈夫」と答えた。
夢との共時性なのだろうか?


言葉

近くのお寺の前に毎月言葉が飾っています。今月は、
「人生とは、失敗も出来る訓練の場である」
です。ここの坊主と一度会ってみたいですね。
「失敗が出来る訓練の場」と「失敗も出来る訓練の場」では微妙に意味が違いますね。


人の喜びを我が喜びに

「人の喜びを我が喜びに」という言葉があります。好きな人が喜ぶことは、まあ、そういうことになりますね。私はもう嫉妬という観念は消えましたね。いえいえ、私は昔からそうでした。好きな人が他の男と楽しくしているのを見ても嫉妬というのはあまり持たなかったな~。「良し、良し」という感じで。
他の知り合いが、または普通の人の喜ぶ顔を見て自分も喜ぶというのは、まあ、あまりありませんね。「勝手に喜べば」という感じで。
ただ、人が成長するのを見るのはうれしいですね。これも昔から私はそうです。特に私が何かを教えて、その人が、またはその人たちが成長するのはうれしいですね。
人が成長するのは我が喜びですね。
そういえばなぜ私は昔からそういう気持ちを持っているのだろう?

父親が、かわいい自分の娘に好きな人が出来て娘の楽しそうな顔をしているのを見てどう思うのだろう?複雑な心境ですね。私の心はそれに近いかな?
女遊びをしている男ほど怒り狂うという話しを読んだことがあります。
また自分の娘が、あまりに美人だと父親の心境は余計に複雑だな。

人権

私は人権に関しては、ちょっと過激な考えを持っています。
「人の人権を否定する人に人権はあるのだろうか?」と。
「人は人に与えたものが、人から与えられる」と言われます。
否定というものを与えたら、否定というものが返ってくるわけですよね。
それが宇宙のルールです。
ですから、目には目を、歯には歯を、というイスラムの思想は理論的に納得がいきます。キリスト教でも、「自分の欲しいものを人に与えなさい」という言葉があります。
それは裏読みすると、人に否定を与えたら、否定が戻ってくるということの裏返しの言葉ですよね。
犯罪でも、冤罪ではなくそれが本当にその人の犯罪であると明らかな場合には、その人の人権は否定されるべきだと思います。
人権を守れと言いながら80%の人が死刑を肯定している。
死刑にされるというのは人権の100%否定なわけですから。
子供の場合は、その名前が公表されないと言うことは、その責任能力が充分ではないという理由ではあるのでしょうが、それはその子供を育てた親の責任ということですから、親が非を負わないといけない。そういう子供を育てた罪ですよね。
親がきちんとその罪を認識したら、社会は良くなると思います。
その罪を認識している親に対しては、社会は守るべきですね。社会的制裁を加えてはいけない。見守らないといけない。
人の人権を肯定する(罪を認識している)人の人権は守らないといけない。
子供でも同じ。自分が人を傷つけたら、親の責任として親が牢屋に入らないといけないということを子供は認識すべきです。もちろん5歳、6歳でも同じ事です。その時は分からなくても後になって自分が悪いことをしたから親が牢屋に入ったということを知れば、その子供は善悪が認識できるようになった時に人を傷つけることはしなくなる。
詳しくはニュースを読んでいないけれど、大津市の事件は子供も大人もひどすぎる。
誰も責任感を持とうとしていない。教師はもちろんのこと市長でさえも。
ただね~、言ってはいけないことだけど、いじめられる側にも問題がある。私は人をいじめたことはないけれど、どちらかというといじめられる側だった。
私はいつでも一定以上いじめられたら相手を殺す覚悟は持っていた。それぐらいの闘争心を親は子供に教えないといけない。もちろんそんなことは言葉では教えられない。親の生き様から親が背中で教えるものですね。
それと、なんで親や教師が教えないのか分からない、いじめっ子が大人になって偉くなった者はいないということを。いじめられた子供が偉くなることはあるけれど、逆は無い。いじっめ子が大人になり、中年になり、初老を迎えるとその人生は悲惨ですよね。人に与えたものがいずれ自分に返ってくる。このことをどうして親や教師は教えないのだろう?教師も一般社会を知らないので、そういう真実を知らないのかも知れない。私が社会人になってから、歴史や心理学の本をたくさん読んで、30代の半ば頃気づいたのは、教師は勉強していないということでした。
「あ~、先生というのは何も勉強していなかったのだ」と。
あういう先生方は真理を何も知らないで死んでいく。子供を傷つけた意識も無く。
来世にそのお返しが返ってくるな。哀れだと思うな。良い先生の顔は歳を取ってますます良い顔になっていくけど、そうでない先生の顔はやはり美しくはないな。はっきりと違いが出てくるな。本人は気づいていないようだけど。そういうことを元先生の前で言いたいけれど、言わない我慢が出来るようになったな、私も。




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