田舎では8月13日に迎え火を焚いて15日に送り火をしないといけない。
それは何百年、ひょっとしたら千年以上続けられてきた風習だから続けないといけない。で、兄が13日に田舎に帰れないということなので私が帰って迎え火を焚かないといけない。16日に母の一周忌の法事をしないといけない。それらはそこで育った人間の責任ですね。
人間、生活を生きるだけではいけなくなる年齢というものがあります。
9月に伊勢神宮での天風会特別研修会があるので、そしてそれは今年が最後だというので研修内容には興味はないが、普通の参拝客が入れない伊勢神宮の内側でのお祓いがあるのでそのためだけに参加しようかな?と思っている。そういう機会はこの人生で二度と無いだろうから。そこはスーツを着ないと入れないということなのでスーツを持って行かないといけない。
私がそういうことをするようになったというのは不思議だな?歳かな?
私が単純に伊勢神宮とか朝廷系の神社に心を寄せているわけではありません。私の感覚では私の過去世か、または血のご先祖の血統はアマテラス系、朝廷系と戦っていたような気がします。だから私が伊勢に行くのは遙か昔の先祖の魂の和解の感覚かも?高野山を訪ねた時、そこに違和感は無かったけど、伊勢神宮はあったね。
もちろんそんなことは妄想と妄感応かも知れませんけどね。
超大雑把に言って、高野山はここ千年の先祖との関係で、アマテラス(伊勢)は二千年の関係だよね。高野山にはご先祖が石灯籠も寄付しているしね。
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