人生に起きることは、良いことも悪いことも因縁の絡み合いで起きている。
まあ、モグラ叩きだな。ひとつを叩いても全然別の所で首を出す。現世、過去世で良い因縁を作っている人はひょこっひょこっと救いの手が予想外の所から現れる。人を傷付けた人はその報いが予想外の所に顕れたりする。
人や国を裏切らない、人を傷つけないということが大事だな。
まあな~、私は狎れてくると愛情の裏返しとしての口の悪さで、知らず知らずの内に人を傷つけることはままあったが、意図してそうしたことは一度も無いな。人を傷つけないために行動の我慢は大事だな。「いのち」は永遠だから今我慢すべきは我慢しないとな。自分の欲の満足のために人を傷つけることになる行為は結局自分に倍返しで戻ってくる。それは自分の魂の格を下げることになるので、その下がった格を元に戻すのにまた一生を必要とする。魂の留年だな。
「また一年、やり直し」ならまだ良いけど、「また一生、やり直し」というのは結構しんどい。中二の時にフラッシュ・バックで過去世を見たから、それからそう思って生きている。やはり一生ごとに一歩でも前に進みたいからね。
ちなみに留年ならまだ良いけど落第というのもあるな。落第したら最善の場合でも二生のやり直しだもんな。「そんなの死んだ方がましだ」と思ってしまうが魂は死ねないから困ってしまう。だから、「正しい今の連続」が大事なんだな。それが仏教でもあり、イスラム教であり、どの宗教でもそうであり、天風教義でもある。イスラム教の本来は結構素晴らしいものらしい。欲を真理という薄い銀紙でガムのように包んでいるのが邪教だな。
本来、自分にとって大切な人であればあるほど、自分の欲望の情念に巻き込むことは出来ないはずですよね。魂の格を落とす道には引っ張れないはずです。
魂の格(霊格)は命より大事なんですよね。霊格はあの世での住む世界、また次の命(来生)を決めるのだから。
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