最近、人間は、形(かた)と言葉だと思うようになりました。
私は小さい時から形にはまるのが嫌いで人よりも自由に生きてきました。
確か少林寺拳法は形(かた)だけで試合をしないんですよね。
見た目の形だけで何段と決めても実戦での実力が分からないじゃないかと思っていました。空手の形も。
でも実力は形に出るんですね。剣道もお互い構えただけでその姿勢で実力が分かってしまう。相撲も取り組みの前に土俵に上がった時の姿勢でたいていは勝ち負けが予め見えてしまう。
日本は形(かた)の国なんですね。それは武道だけでなく生け花も茶道も日本の文化はみんな形なんです。でも考えてみると西洋の音楽と楽器も形なんですね。。楽器は楽器製作職人がその形(かたち)に完璧を求めるわけですね。形が完璧なら完璧な音が出るはずと。その完璧な形を求めて何百年や千年をかけているわけですね。演奏者はその楽器を完璧な形(かた)に従って演奏する。そうして初めてその先に無限の自由にたどり着くわけです。
座禅や瞑想もそうですね。無念無想は姿勢から生まれる。完璧な形を習得してその先に広大な自由があるわけですね。
自分の生き方の形(かた)を選んで、習って、守って、作って、そして始めて他人に影響を受けない自由が得られるんですね。
前のyou-tubeにありましたが、
Change your words, Change your world.
「あなたがあなたの言葉を変えれば、あなたの世界が変わる」ですね。
word にl(エル)を足すと world になる。
l(エル)って何なんでしょう?なんか語源的に意味があるのだろうか?
日本では言霊と言います。向こうでも、言葉と世界は兄弟語なのかな?
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