私の村では学生など若い貧乏そうな旅行者を家に泊めてあげる心をかつて持っていた。私の母もそうしたことがある。ある時、村のある人が若い女性の旅行者を泊めてあげた。それから何年か経って、その家の人が島の病院では対応できない難しい病気になって島外の大きな病院に入院することになった。
そして担当の看護師を見たら、「えっ!」。かつて家に泊めてあげた若い女性が看護師になってそこに勤めていた!という話を昨夜聞いた。
私の母親が貧乏旅行っぽい若い人を泊めたと聞いた時に、母親に「何で泊めたの?」と聞いたら、「人を助けていたら、自分の息子がどこかで困ったら誰かに助けて貰えるだろうと思って」と言っていた。
島八十八カ所として有名な島なので、そんな宗教心が自然にあるのだろう。
たまに島遍路している人から話しを聞くと、人ぞれぞれに運命や人生ドラマがあることを知ることができる。今でも遍路さんとそんな交流があるのかな?
そういう中から、「情けは人のためにあらず」みたいなことが自然に身に付くのかな?四国八十八カ所も、「お接待」という親切が当たり前に存在するので、空海の教えが理屈ではなく生活として自然に存在しているということかな?
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