「心はひろくひろく、もっとひろく」という言葉が近くのお寺の今月の言葉として飾られている。よく見る言葉だけど誰の言葉だろう?
「なるほどな~、そうだよな~、そういう心を持たないとな」と誰もが思うかも知れない。でもこれ、なかなか難しい。
思考する限り、自分の頭で考える限り心は広くならない。なぜなら自分の思考の範囲を心が越えないから。自分の考えの価値観の枠から出ないから。みんな自分の考えは正しいと思っているから、そこから心は拡がらない。
「心は広く広く、もっと広く」は、何に対しても無心でいないと出来ないということですね。無心でいないとということ自体まだそうではないですね。無心でいるということですね。
如何なることにも価値判断をしないことによって心は広くなるのだから。もちろん私はそんなことまだ出来ていない。
例えば浮気したパートナーを許すのは広い心かも知れないが、「広く広く」ではないな。バートナーの浮気に対して何も考えない、許すという思考も、許さないという思考もしないことだと思うけど、自分が人間を止めて神の心にならないと出来ないよね。広く広く、もっと広くは、神の心を持って生きるということですね。
浮気は、それをした側は「裏切り」という大きな大きなマイナスのカルマを来世に当然背負うけど、それをされて怒った方は、「怒ることは正しい!」と思うだろうけど、「怒り」というカルマを背負うことになるな。人間は難しいな。
「過去は問わず」という心には私は50でなれたけど。
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