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教えと立場

会社や社会では肩書きが人を作るという面はありますね。課長になったら課長らしい振る舞いと人格が形成されることが多いが、肩書き負けしてしまう場合もたまにある。肩書きが思考に影響を及ぼすということですね。そういう意味では肩書きが思考を縛るということが出来るかも知れない。私は天風会で肩書きや立場が何も無いので、教義に対する思考や解釈が自由でいられる。教義解釈や理解や説明の方法について何人も私を縛ることは出来ない。それがただの会員の特権ですね。講師になろうという人は、会のテストを受けて一定の枠の中での解釈と講義が強制される。思考や解釈や指導方法について縛られるのは真理の会得からは離れることになる。「教えは私一代のもの」と天風先生は言っておられたようだが、その通りだと思いますね。それぞれ一代なのかも知れません。教えの実践から会得したものは自分のもので、自分の言葉で語ることが出来る。自分の言葉で語れるほどに会得したら、会の指導要綱からは離れて行くのは必然ですね。教義説明をだれが話しても同じなら、オームに話させば良い。まあ、先生方もよく勉強しているし、講師になろうという人もよく勉強している。真面目だな~!と感心する。そういう勉強の真面目さは私には無い。先生方や講師の人達がよく勉強している割には会員が増えないのは何故でしょう?立派な言葉を覚えたオームから学ぼうとする人はいないのと同じかな?オームの発する言葉から学べることの出来る人はすでに覚者だな。
「怒らず、怖れず、悲しまず」という基本が、特に怒らずを会得出来ていなくて、教義を説いたり、講師試験の試験官をしている人もままいるかも知れない?
「正直、親切、愉快に」という言葉もあるが、正直や親切な人は多いが、いつも愉快な人は少ないかも?それでは人は集まらないかも?
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