昔、スピリチュアルな世界では誰でも知っている、ある偉い先生(天風会ではない)にインド人のヨギが書いた「第三の目」という本を貸したことがあります。で、それから一年ぐらい経ってまたお会いした時に、「私、第三の目、開きました!」とその先生は私におっしゃいました。私は心の中で、「もっと前から開いていたでしょう!」と言いたかったけれど、それは口しなかった。
今日は8の付く日で、かつ日曜で護国寺の日曜行修会は無いので、何年ぶりかで湯河原の天命庵に行くことにした。8の付く日は神様がお話をしている。
天命庵に行く時は、昼は真鶴で魚定食を食べて行くことにしている。
朝の8時15分ぐらいにマンションを出た。何やかんやでなぜか電車の選択や乗り継ぎを失敗した。電車の中でiPhoneで真鶴までの最適な電車をどう検索しても、真鶴着11:20と出る。電車の中でかなり立ちっぱなしだった。適切な乗り換えをしていればそうはならなかったはず。何はともあれ、11:20に真鶴に着いた。めちゃ新鮮な魚とご飯を腹一杯食べた。ご飯はお代わりした。ご飯のお代わりなんて何年ぶりだろう?魚の美味しさで嫌なことは吹っ飛んだ。
その店はお爺さんとお婆さん二人の三人でやっている。で、「いや~!美味しかったです!東京ではこんな新鮮なのは食べられません。」と言ったら、
店主が、「そら~、天然のぶりだからね。」とそっけない返事が返ってきた。
私は築地なんかで食べても美味しいと思ったことは一度も無いですね。
何せ、瀬戸内海の島育ちだから。もちろん、細かく言うと真鶴の魚はここでは美味しいけれど、瀬戸内海の魚に比べれば締まりがないね。瀬戸内海は潮の流れが速いのでその中を泳ぐ魚の身は締まってくる。その差は大きい。
今日は、何で電車の運が逆さになるのだろう?昔はそういう時に、「これは何の意味があるのだろう?」と考えたけど最近はそんなことは考えなくなっている。
「まだ運が落ちた状態が続いているのかな?」と考えながら湯河原に着いた。午後のお話の時間までに、まだ時間があるので歩いていくことにした。
歩いていると歩道のベンチにお年寄りが寄りかかって倒れている。
「少し休憩しているのかな?」と観察しながら前を横切って5,6m進んで後ろを振り返ったら同じ形のままだったので引き返して、「お爺さん、大丈夫ですか?」と声をかけた。返事が無い。お爺さんの身体を持ち上げようとしても重くてまったく動かせない。スポーツに行く途中の若者が二人やって来た。一人が身体を持ち上げてベンチに横たわらすのを手伝ってくれた。もう一人は、「救急車を呼びましょうか?」と私に聞いてきたので、「呼んで」と頼んだ。「5分で来てくれそうです。」とのこと。ところが5分経っても来てくれない。救急車が来るまでに15分ぐらいかかったかな?10分ぐらいだったかも知れないが長く感じた。その間、私はお爺さんの頭を私の手の平を枕代わりにして支えていた。お爺さんはずーっと意識不明でよだれも流し始めていた。呼吸や心臓は大丈夫そうだが、脳溢血か?救急車が着いたらお爺さんの目が少し開いて手も少し動いた。救急隊員が話しかけても意味のある応答は無かったが、こちらは通りすがりの者なので手伝ってくれた若者に、「ありがとう」と言ってその場を離れた。若者も去って行った。
要するに朝の電車の選択がぐちゃぐちゃに運が悪かったのは、この時間に私がこの場所を通るタイミングのためだったのかも知れない?と考えられないこともない。私への今日のご褒美は、50年ものの梅干し15個が500円で手に入ったこと?50年ものの梅干しは薬だと言っていたが、何に効くのだろう?それは答えてくれなかった。
PR