敗戦後、占領されている間の教育は仕方ないけど、サンフランシスコ条約以降は憲法や教育は変えるべきだったと思うな。ウォー・ギルト・インフォーメイション・プログラムがNHKを含めてメディアや大学を含めた学校で得た地位を利得権益みたいな形でずーっと今も残っている。
一度学校で教育された価値観はなかなか変更できない。それは戦争に関する知識だけでなく栄養や健康学もそうだよね。学校で得た知識は固定観念となって一生ついて回ることが多い。団塊の世代と話していると特にそれを感じる。
真珠湾攻撃の評価はなかなか難しい。それは愚かな作戦だったと評価する評論家もいる。別の作戦をすれば日本は勝っていたと言う評論家もいる。
私から見ると、暗号を解読されていたのだからどんな作戦をしても同じ結果だったと思う。結果を見ての後講釈は誰でも何でも言える。
ただどっちにせよ、現場で戦った人への評価と作戦を指導した人への評価は分けないといけないと思うな。日本人はそれを区別していない人が多い。日教組から教わった人達は特にそうだと思うな。
安倍総理が真珠湾を12/26,7と訪れるらしいが、政治としての戦後のけじめをつけようということですね。まだ戦後だから。しかし歴史としての研究は歴史家によってこれからも続くことでしょう。国民の評価はその後200年、300年ぐらいはかかるかな?
アメリカ人によるインディアン大量虐殺も米国民の感情や知識としては、間違っていた、犯罪行為だったとはまだ評価されていない。
物事は政治としての判断、学者としての判断、国民感情(固定観念)としての判断というように三つが存在すると思うな。チンギスハーンに対する評価も三者によって違うよね。日本に対する公正な歴史評価は後300年かかるだろうな~?
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