江戸時代に寺子屋で素読というものが行われていた訳ですが、それが基本だったのでしょうが、意味が分からなくても素読を繰り返すことで身体に染み込んで後々大きな効果があったと読んだことがあります。「素読なんて時代遅れ」と明治以降か戦後考えるようになってきていた訳ですが、確かに数学や物理なんてものを素読で理解できるとは思いませんが、四書五経なんかは子供の頃から素読していると人格に影響をもたらすのかも知れませんね。お経なんかも大抵は意味が分からないまま繰り返し読むわけですが、波動として身体にいい影響をもたらすのかも知れませんね。かつて日本人は寺子屋(侍は藩校)で7~8割が学んだ訳ですから、その時に今の日本人の気質が出来たのかも知れませんね。一度学んで出来た気質は元の粗野に戻れない。それが代々伝わっていく。
朗読・素読は心の整体すなわち整心なのかも?だから今回は朗読の後に安定打坐をしたけれど、「今迄で一番いい安定打坐になりました。」と言う人もいました。
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