一日一度はうどんを食べたいし、一日一度はご飯(お米)を食べたい。
で、大抵は昼は讃岐うどん。自分で冷凍うどんを茹でて作るのも美味しい。うどんだけは冷凍を買っている。それ以外は冷凍は買わない。
近くのイオンの中にある讃岐うどん店Hに久しぶりに行った。4回目かな?
店頭の従業員は3人目。一人目は無精ひげを生やしたむさ苦しい男だった。
「こんなのがウエイターなら客は入らないよな?」と思っていたら、3回目に行ったらおばさんに変わっていた。まま明るいおばさんだったけど、今日行ったら若い女性にまた変わっていた。こんなに愛想の無い店頭従業員(ウエイトレス)は初めての経験と思えるほど愛想も悪いしサービスも悪かった。昼食時なのに客は誰もいない。今までも昼時に数人しか客は入っていなかったが。一言、二言、言葉を交わして、注文せずに店を出て、二階にある花丸うどんに行った。客が並んで注文をしていた。この春に入ったらしい讃岐うどんの店Hは間もなく閉店になるだろうな?従業員の選択を間違い過ぎている。どうしてそんな採用ミスを続けてするのかな?日本橋にあるらしい本店に味の驕りがあるのかな?
驕りと言えば、天風会本部?運営陣や講師陣にもあると思うな。著作権がどうのこうのと言って、外部の人の本を否定や拒否したりするのは傲慢さから来ていると思う。それに気付いていないから会員が増えないと思う。人は理屈でなく、空気を感じるからね。会に入っても何年か経ったら、「天風先先生の本を読み、テープを聞いていれば良いや。」と思うようになる。天風教義の文章の背後にあるものを一歩掘り深めて教えてくれる先生は少なくとも東京にはいない。
何度も書いているけど、山田務名(ちかあき)先生から学ぶ縁が無ければ私も5年目に辞めていた。5年目に無心が自由に取れるようになって、その先を教えてくれる先生は他にいなかったし今もいない。安定打坐と坐禅の区別が出来る先生もいない。山田先生も会の講師陣からは煙たがられていたしね。
ということで、「何を言っているか分からない。」と古~い会員や先生方に言われても、それは私に対する誉め言葉だと私は受け取っている。私が理屈(理論)を敢えて言う時は、そんなに簡単に分かる話を私はしていない。
とは言っても、先日曜行修会で私が理屈を言ったのは初めてのことですね。
「権威の無いものは理屈を言ってはいけない。」と私がいつも言っているタブーを破って10分、敢えて話してしまった。
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