こういう話しは知らないな~?ある時、戦前の会員の講演があった。話しの後に廊下で聞いた。「戦中はたくさんの会員や会員の家族が亡くなったと思います。そういう状況での夏期修練会はどんな感じだったのですか?」と。「積極一貫でした。」、「そうですか?天風会の欠点は、まず悲しみを抱きしめてそれから立ち上がるという流れがありません。」、「それで戦後、私も天風会を辞めたのかも知れませんね。」という会話をしたことがある。その人は音の専門家でした。癒しの音の制作をやっていた。数日後にその人が相談役をしている音の会社に訪ねて行った。ヘッドフォンで音を聴いて、「何の音か分りますか?」と聞かれたので、「これは母親の胎内で聴く心臓の音みたいですね。」と答えた。「流石ですね。」と言われた。それは30年近く前の話しです。当時はそういう音による癒しというのはまだポピュラーになっていなかった。せせらぎの音などが癒し本の付録になっていた。橋掛けの会社だったのでしょう?そういう探求について会の先生陣から聞いたことは無いね。山田務名先生のみが作っていた。私も先生に安定打坐用の音源をいくつか提供した。