昨日(8/24)、私が編集した安定打坐自習用CDを日曜行修会でかけたが、どうも私の中で不完全燃焼が残っている。設置されている音響機器のCDプレーヤーの使い方が分からなく戸惑っていたので打坐導入の段階でみんなの意識が集中出来ないでいた。適切な音量調節も分からなかった。そういう準備って大切なんだけどな。操作をよく知っている人が休みだったということで突然私に回ってきた。試行錯誤の雑音を出すわけにはいかないしね。
CDを聞く順番として1を聴いて,2を聴くというように作っている。その次に3ですね。でも3はまだ渡していなかった。
17日に1の半分をかけたと言う。1の終わりまで聞かないまま昨日24日に2をかけたのでみんなの意識の感覚が中途半端になった気がする。
ちなみに古~い会員からそういうCDをかけたことに後で批判的な意見があったと聞いた。古~い会員にとっては山田先生流に対する否定なのか、新しいことが目障りなのか、既に自分では分からない領域なので嫉妬心から批判的になっているのかは分からないけど。
でも、全員から褒められるようなことからは私は逃げるな。みんなから褒められると、「やばいな。俺の程度がまだ低いんだな」と思ってしまうな。
何事も新しい本物は古い人からある程度批判されることで正しいと証明される。
ある古い人の姿勢を見ていると、かつて教わったことを継続的に健気に一生懸命しているのが分かる。その姿勢がすべてで、それが正しいと信念しているように見受けられる。でもその先があるのに、その先を教えて貰っていないから、それがすべてだと思っているらしいのを見ると寂しい気はするね。そして教わっていないその先の話はその人にとって邪道に見えてしまうんだよね。でも教わったことを素直に一生懸命実行しているのは人として立派です。
ちなみに十数人で聴く音と百人で聴く音は変えないといけないな。CDの中のブザーの音と鐘の音は、わざとうるさいほど大きくしているのだけれど、大勢で聴く時はそれもなめらかにした方が良いかもな?風鈴の音もかすかに聞こえる程度に弱くしている部分があるのだけれど、「これぐらいの弱さがちょうど良いな」と思いながら坐っていたら、「風鈴の音をもっと大きくしてくれ」と指導者から打坐の最中に依頼があった。で、打座の最中にボリューム調整をした。
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