安定打坐に入ったら動いてはいけない。また何も動かしてはいけない。
安定打坐が始まったら、今回はこれで最後までいくという覚悟が必要です。
しかしその覚悟が無い人がままいる。
最中に動いて小声で人に話しかけたり、紙をめくったりする人がいる。
それがどれほど騒音になり空気や気を乱すか分かっていない。
(紙をめくる音が瞑想状態ではどれほどの騒音になるか理解していない。)
安定打坐というものが分かっていない証拠ですね。
身も心もを委ねて動かない、その時間にすべてを託する覚悟が必要ですね。
瞑想は死の予行演習でもある。命との真剣勝負である。
自分でゆっくりと心臓の鼓動を静止に向かって遅くしていく行為でもある。
そこが分からないとな~?だから安定打坐を指導する時は、準備万端で真剣を振りかざす感じでやらなくてはならない。
血流の音が聞こえる状態は、安定打坐をするつもりなく自然に安定打坐の状態になっている時ですね。すなわち安定打坐をするという意識も無く安定打坐になっている時ですね。「安定打坐をしないで安定打坐をしろっ!」なんていうことは教えられないよね。ブザーの音もそうなんですよね。「聞く気もなく聞こえていたものが、パッと消えた時の静寂を味わえ!」なんてことも教えられないよね。
でもそれが本質。次善の策としてやむなく、「ブザーの音に意識を集中しろ!」と教えることになる。
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