「立つな、坐るな、横になるな」というのは心のことを言っているのです。
一言で言えば無念無想のことですね。ひとつの状態に心を置かない。
いえ、状態というものに心を置かない。すなわち心自体が消えた状態。
柳生但馬の守が3年の修行の結果得たものは、どういう言葉であっても、たくあん和尚は「それが答えだ!」と答えたのではないだろうか?
いえ、たくあん和尚は、「分かりません!」という柳生但馬の守の言葉に対して、言ったのではなく、彼の目、姿勢、心の状態を見て、「それが答えだ!」と答えたのではないだろうか?無念無想という言葉を使えば、その答え自体、無念無想ではないから、言葉が無い。「分かりません」と表現するしか無かった。
柳生但馬の守は3年の修行で無念無想を掴んだから、たくあん和尚の所に戻ってきて、「立つな、坐るな、横になるなの意味は、分かりません」と答えたのですね、きっと。
たくあん和尚から課題を与えられた時の「分からない」と、3年修行の後の「分からない」では、同じ言葉でも意味が違う。
高校までの数学しか学んでいない人間の、「数学は分からない」というのと、数学者の数学は分からないというのでは意味が違う。まあ、それと同じですね。
「分からない」という言葉は難しい。歴史なんかもそうだよね。学校での知識とNHKドラマだけで日本の歴史は知っていると思っている人は多い。
勉強すればするほど、分からないという言葉の意味は重くなる。
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