昨日の日曜行修会で、
「天風先生の講演テープの中に、「柳生但馬の守が、たくあん和尚から、
”立つな、坐るな、横になるな!”という課題を与えられた。
その意味の答えは明日に。」ということで、そのテープはそこまでで、天風先生が次の日に、どうその意味を説明したのか分からない。
安定打坐のできる村長さん、この意味が分かりますか?」と安定打坐の時間の前に、I先生から質問を投げかけられた。
I先生に質問を投げかけられる前にその答えを考えていたが、私は答えました。
「今のところ、その答えは分かりません!」と。
で、その答えの部分の天風先生の講演テープをたまたま最近、聴いた人がいて、その意味を前に立って説明してくれました。
「柳生但馬の守は、その意味が分からなくて、答えを出そうと3年修行して、再びたくあん和尚の元に行き答えました。
「立つな、坐るな、横になるなという意味は分かりません。」と。」
たくあん和尚曰く、「それが答えだ!」と。
私としては、知ったかブッタ!をしなくて良かった~!と安堵しました。
分からないことは分からないと答えて良かったな~と思いました。
で、その答えを説明してくれた人とトイレで話す機会があり、何で、たくあん和尚は答えの無い課題を与えたのか?というのは、我の強い柳生但馬の守の我を無くすためだったと。
それを考える3年の修行の間に、柳生但馬の守は人間がまるくなったそうです。
ちなみに柳生但馬の守にこの課題が与えられた頃(3年間の修行に入る前)は、宮本武蔵は隙だらけの構えで対決者は打ち込めなかったと。柳生但馬の守はまったく隙の無い構えで打ち込めなかったと。
その時、宮本武蔵は無念無想を会得していたけれど、柳生但馬の守は会得していなかったという説明だったという話しでした。
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